クリアに越したことはないだろうと

11月30日、『寺山修司 ラジオ・ドラマCD 中村一郎』を聴く。昭和34年にRKB毎日放送でオンエアーされたものだがデジタル・リマスタリングされた本作の音質はクリアである。以前、『ウルトラQ』のリマスタリングDVDを観た際にそのあまりにクリアでピンピンな昭和の原風景に私は不安と恐怖に近い感覚に襲われた。クリアに越したことはないだろうとも思ったがおよそ人間の眼と耳で感じられるクリア感の隅々まで容赦なくハイテクの波は押し寄せているのかと。昭和41年の桜井浩子のお肌の曲り角が鮮明に見えたのか見えたように復元されたものか私には判断がつかない。自身の記憶が始まった時間の中を束の間生きたような感覚をあまりにクリアに通過した人間は現実社会で何かしでかしはしないか、あるいは何もしなくなりはしないか。本作の主人公、中村一郎は三十半ばの会社員。ある日、失恋のつらさから飛び降り自殺を図ったがその瞬間から空中を自由に歩き回れるようになる。すぐにマスコミが騒ぎだして話題の名物男に。その中村一郎にはどうしてそんな事態になったのか「何も知らない、わからない」のだが。お構いなしに企業からは公告モデルにされ街の子供たちには英雄視される。新居で紅茶を一杯飲んでいる間にも中村一郎がらみの企業イベントが次々と立ち上がり見たこともない大金が用意されていく。だが失恋どころの騒ぎではなくなった中村一郎には冷静に考えて自分が魔術師に変貌を遂げたと思えない。再び準備された空中ショーの会場からも「お腹が痛くなって明日は必ず」と逃走する。そのまま行方不明になった中村一郎のことをやがて世間も「もともとどうでもいいことだった」と忘れてしまう。本作は脚本家、寺山修司の出発点である。自殺するつもりが突如として英雄になってしまった平凡な男が再び平凡な毎日の中に帰っていく本作がきっかけで寺山修司は世間の注目を浴び始める。この年の民放祭で本作は文芸部門大賞を受賞した。「あれはまぐれさ」と空中ショーなど二度と出演できなくなった中村一郎の変化、もしくは退化。空中を歩くことなど「もともとどうでもいいこと」と沈静化した世間の気まぐれ。本作を書き上げた23歳の寺山修司は前年社会保険中央病院を退院したばかり。中村一郎同様やぶれかぶれの第一歩を踏み出したばかり。有名になった中村一郎の元には失恋相手も舞い戻るが「死ぬのが嫌になった」中村一郎は空中ショーを拒む。空中を歩かない自分からは恋人もまた離れていくはずだが。現在も行方不明中の中村一郎は83歳になる。