あからさまに男の色気を大蔵ざらえで

11月7日、『ボクサー』(77年東映)をDVDで観る。監督、寺山修司。77年の清水健太郎はもちろん健太郎カット。『探偵物語』ゲスト出演時にボクサー役で登場した時はヘビー級?などと松田優作にアドリブで茶化されるほど幸せ肥りのシミケンだったが。本作ではまだ『失恋レストラン』の大ヒットの最中でありおそらく実生活は予想を裏切る極貧生活だったかと。ラジオの深夜DJを担当していた当時にグルルと空きっ腹の鳴る音がマイクに拾われたエピソードはシミケンらしい男の色気にも感じられたが。
男の色気といえば本作でシミケンのトレーナー役の菅原文太だが。「ボクシング教えてください」と行きつけの銭湯にまで裸で付きまとい背中を流すシミケンにうとましげな菅原文太も当時はあからさまに男の色気を大蔵ざらえで売りに売っていたような。『太陽を盗んだ男』の宣伝用ポスターでジュリーと半裸でもたれかかる姿に当時中学生の私はどこまで反応していたのかと。奥底に流れるものには気づかず表面的な野性味、健康美にただ単純に格好良いと飛びついていたのか。
昨今大型書店の写真集コーナーには三分の一くらいの割合で美少年アイドルの写真集が並んでいるがその購買層はほとんど普通の女学生のよう。彼女たちに『ボクサー』における菅原文太とシミケンの男の色気が理解できるかどうか。現在四十半ばの私なぞは十代、二十代の彼女たちに反応しかけたときに待てよこの娘の父上もともすれば東映バイオレンス世代の黒光りマッチョなのではと後ずさりするが。そう考えて改めて見るに今時の不良性感度の高いストリートギャルは池玲子杉本美樹に似ているというより森川正太や拓ぼんに似ているのである。私にはそこがやるせなく、やりきれない気持ち。
そういう街ギャルに男の色気を嗅ぎ分けられて日々ウハウハでいられる今時の四十男こそが人生の勝利者と呼べるのかもしれない。亜似丸だなぁもうなどと現行の俗文化に後ずさり気味の私は敗者。マドンナレーベルの元ヤン熟女を駆け込み寺に目指すが彼女たちは逆に不良性感度は揃って低く元パシリ程度。バブル期の宝島誌上での吉田拓郎のインタビューでは70年代回顧ブームに沸く中年層は70年代を懸命に生きてなかったんじゃないのという発言が確か。AV創世期から今も熟女物で現役活動中の何人かの女優には黒光りする暴力性よりは派遣村のエレジーを感ず。エレジーは、哀歌はいただけないと?女房待ちなら今こそ『仮面舞踏会』の世代であるはずの私。エレジー以外にもはや帰るべき場所はない。五十、六十、喜んで。