いや、なかには木の葉のこのような

7月22日、『十八歳、海へ』をDVDで観る。監督、藤田敏八。79年作品とは意外。藤田敏八といえば70年代の青春のイメージだが本作はその路線も終点に近い頃に生まれていたのか。永島敏行と森下愛子は百恵友和のゴールデンコンビに対抗する現実的で貧困なカップルを何作か演じてきたが。70年代にはまだ小学生だった私には永島森下コンビの方がまぶしかったような。確かに金もなく将来の見通しも暗いかもしれないが永島には森下があるのだし森下にはその素晴らしい肉体がある。などと年寄りじみたことを精通もない頃から思っていた私も相当不気味な児童だったが。本作での永島森下は心中ごっこを始めた海にバカなマネはと止めに入った老人が金をくれたことに味をしめ同じ手口でたかりの常習犯になる。『サード』で演じた高校生売春グループ同様やってることは極悪非道なのにどういうわけか若い二人を応援したくなるのは一体。カワイイから許すといった感情だろうか。カワイイだけじゃなくどうしようもなく無知蒙昧であるところがそう思わせるのでは。バカップルのはしりか。簡単に家を出て簡単に関係して簡単に死のうとする藤田ワールドに当時の若者は憧れていたはず。マネしたくてもマネできないのは森下愛子秋吉久美子のような恋人がそう簡単には見つからないことか。いや、なかには木の葉のこのような恋人をどうにか見つけて森下愛子をつかんだ気になっていた若者もいただろう。そんな若者の方が今案外幸せな人じゃないのかとまた年寄りみたいなことを。のこ似の彼女とは無理心中にいたらず平和な家庭を築いたのではないかと。その意味では藤田作品は毒ではなく薬、非行映画というより教育映画だ。本作に登場する70年代のイモ洗い状態の海水浴場は今見ると異様である。密集する水着姿の若者が皆それぞれ男同士女同士でたむろしている。どこから来たのなどと声をかけ合ったりしない。ただ男同士女同士でニヤニヤだべっている。で、間違いなく彼等の頭の中には藤田ワールドが湯気を立てているのだ。いろいろ言われるけど実際の若者はまだこんなもんじゃないかという思いのこもった実景だろうか。実際の若者が藤田作品並に暴走してフリーセックスし始めたら『十八歳、海へ』は輝きを失うがそれでいいといった挑発にも感ず。ならば『金八先生』のように現実を先回りした暴力教室を十年、二十年と描き続けるのはどうか。嫌だな、あの路線は本当に嫌だ。森下愛子みたいな恋人を探すだけ探してみるか今年の夏もと何となく思う。なまねこ、なまねこ。