そうした微妙な食い違いこそGS

6月15日、ザ・シャロウズの『シャロウズの世界』(11年ボルテージ)を聴く。昨年4月に本作をリリースしたザ・シャロウズはレコーディング中にはまさかこのアルバムが世に出る頃は脚光を浴びる余地もなく世間は混乱しているとは思わなかっただろう。80年代後半のネオGSブーム以降も若いGSはポツポツ現われては消えている。いずれもレコード会社の企画物の印象が強いが。ザ・シャロウズは企画物ではない予感はジャケ写のメンバーのマッシュルームヘアとミリタリールックのフィット振りにすぐ感じた。好きでやってんだと。が、よく見ると複雑な表情のメンバーもいる。詞はおもに奥山恭一、曲はブローノとクレジットがある。好きでやってるのはこの二人か。二人組のGSデュオとまではマゾヒスティックに盛り上がれないところが若さかも。サウンド面では見事に60年代終盤の
ゴーゴークラブに居るような空気は再現されている。が、ボーカルがホフ・ディランのようなだめな人はまったくだめなあのスタイル。私もやや苦手。作り声でスコーンと抜けたこのボーカルが不快だとしてピンキー青木の地声でもぞもぞ語りかけるボーカルは不快じゃないのかといえば当時は充分気持ち悪がられていたような。それでもみずから進んで恥辱にまみれていたピンキーのモロ出しボーカルが今はいとおしい。同じモロ出し系の草野マサムネがエールを送り続けるのも納得。ではシャロウズはまだ恥辱にまみれてないのかキモがられていないのかといえば微妙。自分たちは最高のセンスを表現しているつもりのメンバーと半分ギャグのつもりのメンバーとひとまずデビューしたかったメンバーと皆それぞれ事情がありそうで。しかしそうした微妙な食い違いこそGS本来の魅力かとも。本物みたいだ。本作6曲目『ストーキン』の中の“待ちくたびれた土曜日”という一節には脚光を浴びそこなってしまった不運が予言されているようで物悲しい。けれど“あなただけはァ、はなさないィ”というひ弱なおたけびにいや、これはこれでいいと確信した。あなただけははなさないとは言いながらそのあなたにはまだ指一本触れてもいない青臭さ、精液の匂いならまかせろといわんばかりの昨今の若手ガレージバンドとはまた違う。自分たちの最高のセンスを表現したつもりがついもれてしまった精液というか。できればこのチョイもれ路線を大事にしてほしいのだが。たぶん今後はフロントの二人を中心にさらにスタイリッシュに趣味性たかく変貌しそう。私が嫌いじゃないけど好きじゃないザ・コレクターズ風に。