そもそもオシャレじゃないと何が

10月1日、みうらじゅん『その昔、君と僕が恋をしてた頃』(角川文庫)を読む。漫画家、みうらじゅんのデビュー前後から80年代、90年代と最先端を行くような最後尾に連なるような変拍子の青春を赤裸々につづる自叙伝である。80年代初頭にガロ系漫画家としてデビューしたみうらじゅんがその後エッセイスト、ミュージシャン、タレントとして活躍するあいだ私はみうらじゅんが時代の最先端にあるか最後尾にあるかなどと考えたことはなかった。が、本書にはオシャレ系雑誌のオシャレな編集者と遊びに出てもオシャレじゃないのがバレないかと困惑し続けていた舞台裏などがつづられる。普段着でそこらをプラプラ歩くみうらじゅんを私は過去一度だけ街で見かけた。ペパーミントグリーンのアノラックにジーンズとサンダル履きで古物屋の店主といった佇まいだった。古物屋の店主を別に格好悪い職業とは思わない私から見ればその佇まいはそこそこにオシャレであったが。そもそもオシャレじゃないと何がいけないのかというのはゼロ年代以降の若者の感覚だろう。80年代後半から90年代半ばの若者文化に関わっていた若きみうらじゅんにとって自身は果たして若者らの憧れたりうるオシャレ文化圏の住民であるか否かは足元をすくいかねない大問題だったはず。あの時代に普段着の無防備さで私の度肝を抜いたのは『元気が出るテレビ』出演の際、『ど根性ガエル』のヒロシのような格好で堂々姿を見せた原田大二郎だ。頭にはサングラスをのせ白地のTシャツには手描きのイラストが描かれていたが。当時はその格好じゃあんまりだからと助言する出入り業者を頼れば後日高額なお見立て料が請求された時代。みうらじゅんもそうした地雷を避けていたのでは。恩師でありながら“ずっと嫌われているんだと思ってた”渡辺和博はデビュー当時の『ガロ』の編集長。可愛いがられてるようないじめにあっているような師弟関係を正直ありのままに記した「どうでもいいよ」の項はありのままゆえにシンミリする。この先もこの時代のナベゾのありのままを伝える文献は世に出る機会もなさそうなことを思えば意地悪過ぎた素顔の記録もまた貴重か。「あんた、イヤな仕事の断り方教えてやろうか」と若きみうらじゅんに持ちかけ「ギャラ一億円って言えばいいんだよ」と本気とも冗談ともつかぬ助言をするナベゾが恐ろしかった思い出を赤裸々に記すみうらじゅんの無防備さと小心ぶりには感動すら覚える。座右の銘は“死ぬまで現状維持”の林家ペーにも通じる当て馬のダンディズムとでもいうような微熱が。