お子様ランチなパッケージングに

10月2日、『愛と希望の街』(59年松竹大船)をDVDで観る。監督、大島渚。昭和30年代の川崎工業地帯、駅前で鳩を売る貧しい少年と裕福な少女との心の交流と格差ゆえの決別を描く。主演の鳩を売る少年役、藤川弘志は前時代がかったルックスながらもひたむきで誠実な姿勢にはつい引き込まれる。昨今の人気俳優でいえば高良健吾か。相手役の少女は富永ユキ。当時売り出し中のロカビリー歌手。ギターを持っているだけで不良扱いされた昭和40年代よりさらに前なら富永ユキも当然ド不良だったのか。画面からの印象では何だかおばちゃんじみた良家のお嬢様だなとしか。その時代に生きてないとあれはいかにも不良顔とは気づかないことがある。今どきの若者が80年代の松原のぶえ畑中葉子を見てもあの不良性感度には気づかないだろう。本作の中で家庭に問題のある不良とみなされるのは鳩を売る少年役の藤川弘志の方。生活のために一般客に打った鳩が逃げ戻るとそれをまた別の客に売る「一種のサギ」を繰り返していた少年。少年の貧しい生活に同情して父親の会社に就職先を世話してあげようとした少女だったが。素行調査で少年の悪事が明らかになると少女には貧しさと闘う少年とその家族も彼等が棲む街一帯も自分とは異なる世界だと思い知る。「鳩なんか初めから持ってない方がよかった」少年は鳩を通じて一時だけ心を温めあった少女と別れ小さな町工場で働き始める。これで貧しい母親と知恵遅れの妹といつかはこの土地を出ていく希望は絶たれてしまったという場面で本作は終わる。おとぎ話のようなハッピーエンドではまったくない本作に大島は「鳩を売る少年」と題名をつけた。が、松竹側は題名を「愛と希望の街」に変更させた。「鳩を売る少年」より「愛と希望の街」の方がより強烈なアイロニーではと思うのはその後の大島作品に魅了されてきた者の感覚で本作は大島の第一回監督作品なのだ。お子様ランチなパッケージングに激怒したことは想像がつくが。あたかも家族で楽しめる作品のような題名を無理強いした松竹にも苦渋の選択だったのでは。この内容で「愛と希望の街」では余計に陰湿で猥雑というか。80年代におけるビニ本なのに書名は「金閣寺」、避妊具なのに商品名は「さざなみ」といった文芸エロス感覚につながるややこしさがつきまとうのではないか。最晩年までもこの改題事件には怒りで体が震える思いだったという大島。つまり大島の激しい怒りの根幹は権力側が我々より陰湿で猥雑なイメージを創造してくれるなという点につきるのではないか。