そのオーケンを町で見かけたかも

9月3日、大槻ケンヂ著『人として軸がブレている』(角川文庫)を読む。07年に筋肉少女帯を再結成した頃のオーケンの四十路ライフの始まりを記したエッセイ集。酒に酔うのも面倒くさくなったし本も映画も観たいしといった寄る年波の愚痴話は二十代の頃の著書と読み比べてみると面白いかも。と、思えば巻末には過去の小説、エッセイ集がぎっしり紹介されている。何やら大蔵ざらえといった感。本書の中で私がとくに興味深かったのは「有名人目撃事件簿!私は○○を見た!」の項。オーケンが町で見かけた有名人第一号は坂本九。幼少期に家族でデパートに買い物中の大槻家が新婚の九ちゃん夫妻と遭遇した時のまぶしさを語るくだりは「まだまだスターがスターであった時」を知る世代にはとても映像的だ。東京育ちのオーケンがこれまで町で見かけた有名人は他に月の家円鏡大滝秀治と昭和カラーが強いような。極めつけは「オレの前世は三島由紀夫かと思うくらい頻繁に」見かけてきた美輪明宏。単に遠くからでも目立つからだけかもしれないが最多スコアは美輪明宏というのはオーケンらしいような。そのオーケンを町で見かけたかもしれない体験が私にも一度だけある。駒込駅周辺の坂道を普段着ノーメイクのオーケンにすごくよく似た男性とすれ違ったのは11年の1月頃。東京を離れることが決まり引っ越しの準備をしながら近所をブラついていた日暮れ時にすれ違ったオーケンにすごくよく似た男性は住宅街にひょいと消えていったが。私はその時オーケンのあのひび割れメイクはドーランを落とすとほぼ別人くらいの落差が生じて帽子やサングラスより変装効果大なのだと気づいた。変装も万全でひょいと消えていった住宅街のどこかに交際中のお姉ちゃんが待つ気配も同時に感じた。オーケンだって結構なスターなんだと帰郷直前に思い知らされたことに意味付けしたくなったり。私が25年ほど東京に暮らした中で別に近所に住んでいるわけでもなくピンポイントに遭遇してきた有名人は伊集院光である。最多スコアはは伊集院でオーケンには最後に一度であった。私が一人勝手にご近所の星のつもりで慣れ親しんできたオーケンとは実は25年に一度見れるか見れないかの結構な巨星だったのだ。そんなことに今頃気づかされたのは幸福なのか不幸なのかまだ私にもわからないが。キャリア二十余年のオーケンサブカル処世術には私は特に関心はない。けれどもオーケンのパーソナリティ、ものの面白がり方だけは音楽性は置いといて今だ卒業できないのだ。大蔵ざらえはまだもう少し先でいいような。