そんないじめられっこバンドならば

4月11日、『PYG ゴールデン・ベスト』(ユニバーサルミュージック)を聴く。71年にジュリーとショーケンがタッグを組んだスーパーバンドとして知られるPYGの音源に触れるのはこの廉価盤ベストが初めて。PYGが当時の音楽シーンでは“GSの残党がニューロックに扮装してもうひと稼ぎ企んだ商業主義バンド”としてバッシングされていたことは私も少し知っていた。そんないじめられっこバンドならばさぞかし音もしょぼくれていて後ろ向きかと思えば果たしてそんな感じであった。しかししょぼくれていて後ろ向きなのは当時の和製ニューロック(和製ニューロックはGS同様日本独自のものかとも思うが)に共通した気分というか態度のようなものである。二年間にアルバムを二枚(一枚はライブ盤)とシングルを五枚発表した後に自然消滅していったPYGに岸部修三(一徳)は六曲も詞を提供している。その後に作詞家として目立った活動はしていないところを見ると悪評なれどもしたい放題のPYGで岸部修三は作詞家への道を模索していたということか。PYGの代表曲『自由に歩いて愛して』の作詞は安井かずみである。これを待たずに岸部のペンによる『花・太陽・雨』でバンドはデビューするのだが。「よろこびの時/笑えない人/色のない花/この世界」という書き出しはいかにもニューロック的だが。結びにリフレインされる「花 太陽 雨 花 太陽 雨」がどうもよく聴き取れない。“はなたいようあめ”の詞が曲に乗りきれてないのだ。それは作曲の井上堯之が岸部の拙い詞に乗りきれなかったからかもしれない。が、詞先、曲先のいずれにせよタイトルが『花・太陽・雨』で肝心のこの一行が何を言ってるのか聴きとれなければそれはまだ試作品なのではないか。では安井かずみの『自由に歩いて愛して』はどうか。「誰かが今/ドアをたたいた/この心の/とびらを開けろと/今/やさしい/季節が来たんだ」の「来たんだ」に気分としてのニューロックから一歩踏み込んだ緊迫感がある。おそらく同じようなモチーフでも岸部修三なら「季節が来た」でそっけなく止めてしまい井上堯之を再びつんのめさせただろう。本作を聴いてPYGというグループは後のジュリーと安井かずみのきらめく黄金時代へのワンクッションだったのだなと感ず。ソロ歌手になってからのジュリーと安井かずみの代表曲といえば言うまでもなく『危険なふたり』であろう。が、個人的には同じ作詞・安井かずみ、作曲・加瀬邦彦による『恋は邪魔もの』こそが70年代のジュリーの頂点に思える。