が、この時代には近所の評判は

8月8日、ねじめ正一 著『高円寺純情商店街』(新潮文庫)を読む。詩人のねじめ正一が昭和の終りにとっかかり平成の初めに発表にこぎつけた処女小説であり直木賞受賞作。本作は昭和30年代半ばの東京、高円寺北口に面する純情商店街を舞台に主人公の正一少年の目線から見た下町人間模様、大人の事情に直面した際のほろ苦さ、いたたまれなさが描かれた全六編のオムニバス。いずれも小説が話題になってから現実に純情商店街と名付けられた高円寺北口商店街の狭いエリアで起きた小さなドラマ。私が惹かれたのは三番目のエピソード、「もりちゃんのプレハブ」である。正一少年の家は創業十余年と迫力不足の乾物店を親子三代でなんとか切り盛りしている。そこへ住み込みの従業員として父方の遠縁にあたる二十歳の若者もりちゃんが同居することに。もりちゃんの部屋は庭先に掘っ建てられたプレハブ小屋。正一少年の父親が書斎に使うつもりで建てたが夏冬とおして劣悪な住み心地ゆえに放置されていた物件をもりちゃんにあてがったのだが。当のもりちゃんは静岡の田舎育ちで店の廃品のズタ袋で手製のシャツをつくって着て歩く洒落者だったのでプレハブ小屋にも大喜び。しばらくするとそのプレハブで小屋にカノジョのカズ江が出入りするように。「そのもりちゃんがカズ江と知り合ったのは」と多感な正一少年に呼び捨てられるようにカノジョのカズ江には諸事情あった。当然男性関係の類だが「早稲田通りの商店街じゃ有名らしい」というカズ江のキャリアは「一年間で噂になっただけでも七人」というから昭和30年という時代を考えると相当なものか。『三丁目の夕日』の時代が平和で純朴なんて大嘘とする主張も思い出すがいかにも昭和なのがその後の情報収集。カズ江毒婦説の裏をとるために正一少年の父親がしたことは早稲田通り商店街の知り合いとカズ江のアパートの管理人への聞き込み。今ならそんな人たちから聞き出せるネタなんてそんなにない。が、この時代には近所の評判はその人物のナマな素顔にほど近くそれだけ人と人とがむき身で付き合っていたのだ。「カズ江はそんな女じゃないです」と庇い立てするもりちゃんが帰郷してカズ江の方は醜聞まみれで変わらず商店街に暮らす結末の「ギラギラ光るガラス戸の向こうに座っているカズ江は、大きな肥った金魚みたいだった」は同時期の今村昌平の映画を観ているよう。経済成長には付き物の油濃い猥雑感が。カズ江のような昭和の毒婦にも充分な市民権のある杉並区高円寺を昔も今も愛する人は多い。が、愛されるのは大変な至難。