うんことおしっこは生きる上での基本

12月8日、谷川俊太郎 文 井上洋介 絵 『たべる』(06年 アートン)を読む。“この絵本、食べすぎにききます、ダイエットにもなります”というキャッチの通り井上洋介の生々しい人物描写と谷川俊太郎のえげつなくも可笑しい終末観による正しく“迫力の一冊!”主人公のたかし少年はジャンク菓子の中毒でおよそ可愛げのない肥満児。「あさから ばんまで おかしを たべてる」そのせいで日々の食卓を家族と囲むタイミングもない。いつものごとく夕食もとらず「はも みがかずに」寝床についた晩にたかし少年のみた凶夢が本作のメインステージ。何処かの密林地帯で獣の群れに襲われるたかし少年。原住民の飢えた子供らの仕掛けた罠にかかって宙ぶらりんに。とりあえず地上の獣からは逃れたが今度は飢えた子供らの餌食にされかかるも再び遁走。自販機すらない密林で百円玉を空しく握りしめ泥水をすすり青虫を「くちのなかへ おしこんだ」ところで上空より救援物質が落下してくる。が、それらは飢えた子供らの親たちに独占されてやがては武装集団に強奪される。本作が生まれた06年に世界はそれほどきな臭い緊張状態にあったかしらとも思ったが緊張状態の最中にこれほどはっきりと旗を振り回したような童話は描けないかとも。「おそろしくて たかしは うんこが したくなった」が、用を足すとその大便にもすぐに昆虫群が集まる。「この むしたちも おなかが すいてるんだ!」と驚愕するたかし少年。下には下がいることを嫌というほど思い知らされる逆境で初めて自分の体から外に出た排泄物で命をつなぐ小さな生き物たちに同情する。ようやく自分以外を思いやるきっかけが「かみが ないから はっぱで ふいた」搾りたてのうんこという皮肉が学童向きの戦記ものらしく唯一笑える場面。うんことおしっこは生きる上での基本と説く谷川俊太郎の面目はここでも立っている。昨今グラビアアイドルなる業種は冬の時代に入ったというがぐっとくる個性の見当たらぬ寒々しいシーンに欠けているのもうんことおしっこに代表される当たり前の身体性なのでは。うんこもおしっこもしない風なグラドルに反応する方がどうかしてるのだ。逆に言えば糞尿臭い婦女子に反応できるうちはまだ健全なのだ。グラドルの握手会なぞのこのこ出かけられる年でもないが思いきって出かけようかとも。これからも応援してねと親子ほども離れたおしっこ臭いグラドルにまるでフンコロガシを見るような眼で見られるもの悪くないだろうとも。今や食育よりも便育の時代かと痛感させる一冊。