貧者と貧者が尻の毛までも毟り合う

9月3日、平田オリザ 著『下り坂をそろそろと下りる』(講談社現代新書)を読む。本書は前作『わかりあえないことから―コミュニケーション能力とは何か』のヒットを受けて同じ新書シリーズから出たもの。帯文には“あたらしい「この国のかたち」”とタイトルより大きく記されるとおりこれからの日本人のありかたを国内外に視点を向けて論じた一冊。80年代、多くの演劇青年たちのちょこざいな仮想敵だった平田オリザは今では日本を代表する演劇人である。30年前、明日の演劇界をしょって立つようなことを豪語していた著者が現実そうなった今あらたに明日の日本を論じるのならこちらも多少なりとも身構えなければ。本書の第一章ではグローバル教育の是非について「もしも鎖国していけるなら」それは必要ないが仮に鎖国するなら「この狭い国土を鎖国して生きていけるのは3,000万人が限度だという」などとどのように算段したのか怖いことを平然と語る。“超リアリスト”平田オリザが本書で重ね重ね主張するのは“「卑屈なほどのリアリズム」をもって現実を認識し、ここから長く続く後退戦を「勝てないまでも負けない」ようにもっていく”ことだという。若者離れのすすむ地方都市にもその土地の特色を活かした劇場や大学を再生させて活性化をという著者らの試みは30年後に実を結ぶのかどうか。恐らく30年前に話し言葉によるリアルで静かな演劇、「現代口語演劇」を起ち上げた著者の試み同様にそれにはある程度成果を見せるのだろう。その頃には今現在の論客としての平田オリザを仮想敵視している人々も皆どこかへ消えてしまうのだろう。平田オリザ自身はその頃には何をしているのかと余計なお世話が止まらなくなるシビアーな予言書的性格も本書は持つ。30年間演劇界で飯を食ってきた著者には日本という落ち目の劇団の行く末も大方見当がつくのだろうか。ブラック企業に就職しブラックなご案内の電話をかけ続ける若者と弱小劇団にて団員同士が友だちがらみのチケットを押し付けあう姿は似ているように私でも思う。貧者と貧者が尻の毛までも毟りあう現実に疲れ果てて人生から降りてしまう若者に対して著者はもう一度「生きる知恵」を身につけて戻ってくることを期待する。PISA型と呼ばれる自分で考え他者に向かって表現する能力を伸ばす所謂「地頭」そのものを鍛える教育システムが成果を見せるか「ゆとり」同様の蔑称に収まるかまだ予測できない。その頃のよりリアルでちょこざいな現代演劇のありようもまた予測できない。