プライベート盤のゆるさを全面に

8月24日、『悲しき夏バテ』布谷文夫(ユニバーサルミュージック)を聴く。本作は73年8月、大瀧詠一プロデュースにより発表されたブルース歌手、布谷文夫のソロデビュー作。内ジャケには布谷文夫とレコーディングメンバーらが草野球に興じるスナップ写真が並ぶ。演奏のクレジットも福生エキサイティング・ソフトボール・チームと記されて随分と肩の力の抜けた感。プライベート盤のゆるさを全面に出した演出はもちろん大瀧詠一で布谷文夫とは「盟友」の間柄とか。古くからの音楽仲間の一本立ちを演出するにあたって派手さ、けばけばしさを一切除外した手作り感覚の仕上がりに大瀧詠一はこだわったよう。黒人歌手のように歌える日本人歌手をプロデュースする例でいえば大瀧詠一は後に鈴木雅之と出会うが、本作はその布石かといえばそうでもなく草野球の延長でスタジオになだれ込んだような。門下生一同で草野球チームを結成し売れっ子も冷や飯組も上下関係なく遊ぶというたけし軍団と同じガス抜きを当時から大瀧詠一は試していたよう。タイトル曲『夏バテ』には女性コーラスも参加しているが本作は基本的には男野郎どもの世界。「いやバテるネェ!こう暑いとクーラーないとやっていけないよ」と言いながらも都会の一人暮らしをまだ満喫していられる年齢にある青年がそこにいる。「盟友」なれどその後の歌手生命を託してきた布谷文夫に大瀧詠一は自作の『颱風』を提供する。『颱風』ははっぴいえんどの二作目にあたる『風街ろまん』に収録された曲で本作では『颱風13号』と改題されている。「颱風13号オォーッ」という大瀧詠一の間延びしたコーラスの入るこヴァージョンの音像には時代の空気を感ず。この時代のみ幅を利かせていた大型レジャー施設や大型家具店のテレビCFを観ているような懐かしさといたたまれなさというのか。何がいたたまれないのだろうと考えてみるにこの『颱風13号』の原風景は田舎暮らしの私には未だ現在なのだった。近隣にはゴースト化したアスレチックフィールドや大型家具店が朽ちかけた姿を今もさらしていていつも気になって仕方がない。一度本作を決起のBGMにそうしたゴースト地帯を探検してみたくもなる。が、廃墟探検が一部の若者らでブームになった頃、そうした若者らと不法入居者との間でトラブルが多発した例もある。不法入居とはいえ他人の棲み処を挨拶もなしに踏み荒らして許される訳がないと思う。ごめんください、布谷さん。本作は私の50年目の夏に間に合った。