あの人は今シックスナインである

 お前は詩作もするのだろう。折角だからネット詩も発表しようぜと家主のエイチが近頃せっつく。嫌なこったと私はそっぽを向く。ネット詩に批判的なのかと言われればそうかも知れないと感ず。いや、そもそもインターネットに及び腰なのだ。この先筆一本で経済的に自立を果たしたとしても手書きで通すかもしれない。それを手下の者に預けて打ち込ませている間に自分は相変わらず銀座シネパトスで沈吟していたい。

 70年代のロマンポルノを観ながらあったなぁ花柄の電子ジャーとか煙草の空箱で作った傘の置物ねなどと涙ぐんでいたい。ロマンポルノの再評価の正体は実のところそんなものと今の内ごちる。20代半ばから30代半ばの青年達の少年時代のアイドルの風景が動いている。音声付きで。あっこの看板見覚えある、何だかたまらん。そうした引越しの際に押入れの中のワンダーランドで味わう懐古の情と同様の楽しみだろうと思うのだ。スピリットだけはハリウッドにも負けていないとか、ピンクというだけで差別的な扱いを云々とかは、当時冷や飯組としてロマンポルノを支え続けた人々の中で交わされていれば良いことだ。

 恐らくは新世紀初頭のロマンポルノブームは80年代のフィフティーズブームのようになると私は思う。革ジャンの背中には50年代の風俗であるソフトクリームやコカコーラのロゴが落書きしてあるそれ風の若者たちが街に溢れ出す。が、彼等の多くはロカビリーの歴史に詳しくもなければその時代のアメリカ文化に憧れている訳でもない。原宿に憧れ同化したい一日も早くという想いからそのようなファッションに身を包んでいただけである。やはり原宿である。原宿竹下通りにロマンポルノの店を開いて欲しい。店頭には当たり前のように谷ナオミ銅像を立てて欲しい。で、「団地妻 昼下がりの情事」や「潮吹き海女」のポスターをプリントしたTシャツを着たナオミ風ギャルが肉棒型のチョコバナナをペロペロしながら芸能スカウトを待ち構えると。原宿にもいい店出来たじゃないなどと鼻穴ふくらませて駆けつけたいものだ。そんな店が実際おっ建ってしまったら私も街頭で自作詩をがなり始めるかも知れない。負けちゃいられないだろうと。しかし山田洋次の新作にもたじろいだように今時の年寄りは元気過ぎると思う。岸田秀は来年70歳なのかと今さっき古本屋で「不惑の雑考」のカバーをめくって床にずり落ちたところだ。絶対に未だ現役バリバリのはず。まいる。