この人は男らしいのかなと私はその時

6月11日、『団鬼六 花嫁人形』(79年にっかつ)をDVDで観る。監督、藤井克彦。主演は倉吉朝子という当時の新人。さほどビビッドな魅力もないサーファー女子大生といった感の隣のお姉さんか。お姉さんだけじゃ画面がもたないだろうからと助演に志麻いづみがついているのだが。谷ナオミをコンパクトにしたような志麻いづみという女優が私はどうも苦手。小柄で物静かなのにやることはやる貪欲さに引いてしまうのか。みうらじゅんが初めて谷ナオミを発見したときにボクを幸せにしてくれるのはこの人だと直感したとどこかに書いていたが。私は志麻いづみを発見したときにボクを不幸せにしてくれるのはこの人だと直感しただろうか。もしも志麻いづみのような女性と風俗店や安スナックで向き合ってルーティーンで股間をなでられても止めてくれ不幸になるとは言えないだろう。どんなにもどかしくても。男ってお金を払って呼びつけた女のコがどんなにひどいブスでも優しくしちゃうんだとどこかで語っていたのは糸井サンだったか。なけなしの金でわざわざ不幸を買いに来たんじゃないぞ俺はと胸を張るのが男らしいかどうか。じゃあ男らしい男がそんなところで何してるんだと問われるとどうも。それに近いニュアンスでこの人は男らしいのかなと思ったことがあった。もう5年以上前の新宿ニューアートで。たまたま客入りもとぼしく大学生のグループと私と60代くらいの男性だけだった。ポラロイドのコーナーになっても劇場は初めてらしい大学生グループはもじもじしたまま。プアな私も同様にしていると舞台上のタレントは今日はどうしちゃったのようみたいなことをぼやき始めた。ねえ○○さんアタシどうしようとそのタレントは顔なじみらしい60代男性に助け船を求めた。ゆーとぴあのホープ似のその男性はベビーフェイスが揃ってるからなァなどと余裕たっぷりに舞台に歩み寄りポラ撮りを始めた。私と大学生グループはホープ似の男性のカメラさばきとアングル注文を静かに見守り続けたが。この人は男らしいのかなと私はそのとき思った。今あらためて考えるとその程度の男らしさなら小1枚でたやすく手に入ってしまうだろうと。イヤむしろ小1枚から始まる幸せもしくは不幸せにたじろぐベビーフェイスがどう男性化していくかが男のロマン劇たりうるような。復活のきざしにあるロマンポルノはそこを描くべきでは。黒田勇樹を看板男優に招聘するべきでは。ロマン不足の女優には優しくするほかないとしてその受皿になる男優には計り知れない不幸が見透かされてなんぼといえまいか。