奇怪なブツには手が出ないんである

郷里にて引き続きうだうだと過ごす。押入れの奥に十代の頃の愛読書やすり切れるまで聴いたレコードなんぞ眠ってないかと探し回る。無い。考えてみれば親元を最初に離れた後に両親は何度も転居している。まだ青年だった私のためにはそうした思い出の品々も大切にとっておいてくれたかもしれない。が、中年にもなった私のために小学校時代にお誕生パーティで同級の女の子からプレゼントされた大場久美子のレターセットなぞとっておく訳がない。そんなものさとベランダに出て風にでもあたる。
ベランダの隅に落ちていた日経夕刊の日付は7月11日。何かネタあるかしらと目を通す。特に無い。特に無いのは己が世間の動きと全然関係ねぇ所でうようようごめいているミトコンドリア男だからだ。日本経済新聞が新鮮味の無いメディアみたいなことをいうな。新鮮味の無いのは私。日経夕刊24面を読ませていただく。
「言葉と音紡ぐ透明な心」、時代を超えて聴き手の心をつかむポピュラー音楽。その力の源は何か。を、ロック歌手、佐野元春さんが語っている。秋から立教大学で講座も担当するという。大学講師というのも最近はありとあらゆる表現ジャンルからハンティングされるようになった。大学の方が学生不足に悩んでいる現実もあるのか。名物講師と呼ばれる層には講義より実入りのあるバイトが続々と舞い込みスケジュールがとりにくくなってしまうからだろうか。立教大学のプログラムを決める立場にいる人物らが思いつくままに卒業生にあたる有名人をリストアップしてその中からスケジュールの都合がつけばやってくれそうな人物にあたりをつけてみるのだろうか。佐野元春なんていかにも都合がつけばやってくれそうだが。ただ今の大学生がやってくれることになった佐野元春を頭の上で両手をバシバシ叩いて迎えてくれるかどうかは。
それはどうかはわからないが大学講師をする佐野元春に興味を持つ80年代からの元春ファンはじっとしていられるかどうか。そのうち奇怪なブートレク盤が出回りそうな。ブートで思い出したが今はもう閉店した池袋の中古レコード店にて私が一度だけ手にとった吉幾三のライブCDにまためぐり逢えないものかと。それは吉幾三が知り合いのスナックで流しのごとく自身の持ち歌をカラオケでだらだら歌っているだけの内容をさてはいずれにも許可なく限定プレスしたレア物だった。ジャケもたまたまその場に居合わせた客が写ルンですで撮った安スナックの酔客然とした本物の吉幾三が。今では双方黙秘か。