その後私がポアされなかったのは

7月30日、新潮文庫になった『苦役列車』を読む。働く四十代の希望の星と呼ばれる西村賢太は私とほぼ同世代。半自伝のスタイルで描き続けられる貫多シリーズに登場する80年代後半からの東京における可能な限りの極貧生活は私も知っている。いや、現在本作をフォローする各方面のクリエイターらが声を大にしているのもこの俺も知っている、タコ部屋にはあんな上司やこんな仲間たちがいたよという点。もちろん私も共感した。タコ部屋に流れついたのではなく自分の意志でこれも勉強とやってくる地方出身の好青年というのも確かにいた。本作での貫多はそんな好青年についつい甘え過ぎて見限られ再び腐っていくのだが。私なぞはタコ部屋の好青年は他の下郎よりも余計に怖かった。ジュース一杯おごられるのも怖かったし帰りに皆で居酒屋に寄ろうやなどと誘い合っていると素早く遁走した。しばらくして私のロッカーの中のフェイクファーのモコモコジャケットの裏地に手作りの猿毛などと書かれた紙札がくくり付けられていた。そのタコ部屋でそれ以上の実害はなかったが。同じ頃にテレビのニュースで都内のタコ部屋で退職を申し出た見習いを格上といっても世間的には同じ無能力者のはずの連中がリンチ殺人にという報道を見て震えた。震えたというのはちょうど猿毛札の件の直後にタコ部屋でそのニュースを皆で見ていたからである。その後私がポアされなかったのはタコ部屋の牢名主だった映画監督志望の男と一度だけエビ天の話で軽く盛り上がってたからだろう。本作で中学を転校した貫多が不良グループに洗礼を受けそうになるがたまたま幼なじみだった不良に北町はいいよ、昔よく一緒に遊んでたしな。行けよと命拾いするくだりも生々しいが。その後に続くその貫多をある女子が陰で「北町はツッパリなのかツッパリじゃないのか、よく分からないやつ」と見事に彼の本質を指摘した評を洩らしていたがというエピソードには妙に気恥ずかしくなった。ツッパリなのかツッパリじゃないのか、よく分からないやつという一行は西村文学の汚物まみれの貧困ぶりや風俗店での失敗談や性暴力のどれにも勝る告白なのでは。この一行で同世代からはいたいた何だあんな奴か日ハムかと見下されてしまうがそれで結構という余裕のようなものも感ず。ビートたけしが俺らガキ大将のあとだったと語っていたのも思い出す。ガキ大将のあとで足蹴にしたりツバを吐きつけたりそんなもんだよという告白。人間というものは出世をしなければいけないわけでもないが出世をした以上告白は免れないものなのだなと。