それでもアル仙にしか描けないものは


11月7日、『笑いのカイブツ』(秋田書店)を読む。本書は「元伝説のハガキ職人」のツチヤタカユキの私小説史群アル仙が漫画化したもの。ツチヤには対人恐怖症の傾向がありアル仙にははっきり病名の付いた精神障害がある。この両者をブッキングする制作者も図太いが。こころの病気を公表しながら漫才のボケ役を演じる芸人はいる。病気込みで笑い者にしているだろうと言われればその通りだが。今日辺りはどんなコミックスが買いかなと私が書店に出向きゴマンとある新刊本の中から選んでいたのもその部類の訳あり商品だった。それでもアル仙にしか描けないものは初の原作ものにも色濃く息づいている。それはこころの病気を患った者しか知らないパニック時に現れる幻影である。ゴミ袋の中にうごめく無数の顔が一斉に毒づく、路上で吐いたゲロの中に“お笑い大喜利東京ラジオハガキ”と頭の中の課題が文字になって浮き上がるなどという描写は健常者には発想できないしそれゆえ衝撃なのだ。ところでハガキ職人なる者は雑誌やラジオにギャグを投稿して芸人や作家にスカウトされようとする段階にある者だがツチヤの場合は過去に劇場出入りを許される作家見習いでありながら落伍し再度投稿し始める。一度目は出会いにも恵まれなかったということか。「あんなクソ共に構うてられへん」とむくれるくだりに私はアングラ劇団時代の竹中直人豊川悦司の写真を思い出す。それらは現在と違って凶悪そうにささくれだっていたかというとそうではなかった。ずっとそんな世界で細々と食いつないでいくだろう温和でマイペースな表情で只そこに写っていた。後に成功する者の下積み期とは案外そんなものなのだ。最後まで敗者復活戦を戦い抜くつもりのツチヤは空っぽのリングでパンチドランカーを演じているよう。「もう後戻りはできへんのや…カイブツよ…」と誰に向けてか何度目かのファイティングポーズを決める醒めきった絶望の顔は果たしてツチヤひとりだけのものだろうか。野沢直子が全盛期に突如として勉強し直してきますなどと渡米した昔と渡辺直美の今とでは何かが変わったのだろうか。「絶望的やな」と悟りすます主人公の仏頂面のその下にはもうひとつの顔があるのでは。うらみつらみで生きている敗者たちにモチベーションを与える慈善事業者のようなことをはっきりと提言し始めたお笑い産業はいずれ行き止まりだとツチヤは語らないしアル仙も描かない。ひとまず健常者である私はそう感じた。

あれは女優魂というよりガッツである

11月2日、テアトル新宿にて『止められるか、俺たちを』を観る。監督、白石和彌。60年代後半の新宿でフーテン少女から若松プロダクションの助監督となりやがて国内初の女性ピンク映画監督となる筈だった吉積めぐみの23年の生涯を描いた本作。ではあるが演じるのは当時を全く知らない若い俳優たちであり演出するのは若松プロ出身で近年『実録犯罪物』で人気監督の仲間入りを果たした白石和彌。これまでも火の粉は充分浴びてきただろう白石監督が恩師である若松孝二の苦闘時代をあることないこと好き勝手に描いた本作は評判通りの快作。若松孝二役の井浦新は故人のモノマネでこんなに笑っていいのかと思う出来栄えである。その他の足立正生、ガイラ、オバケなど若松組の珍キャラ達もそれぞれ好演しているが肝心の門脇麦演じるめぐみはパワフルな男優陣とは対照的に物憂い。時代の空気を背負わせたというより吉積めぐみの存在が今では空気のようなものなのだ。数枚の記念写真とおぼろげな当時の噂話だけを頼りにめぐみを演じた門脇麦のひたむきさとギャグに走った男優陣を比べると別な意味で問題作にも感ず。60年代を振り返ってあの時代は単に映画を演出していたのではなく世界を演出していたと語った大島渚と心意気だけは同じつもりでいた若松組。その末端でもがいていためぐみの相談役は映画の現場に誘ったオバケこと秋山道男。本作に登場する若き秋山道男はめぐみと唯一同じ目線でなぐさめ合える天使のような存在。私は80年代末にトークイベントで見た秋山道男を思い出した。仕事絡みで知り合った女性とその場限りの関係を持ったことはと司会の内田春菊にいじられて「僕はアフターケアもするから」とムキになっていた姿が可笑しかったが。本作を観て男の現場で働く女の子の悲哀をまだ天使だった頃の秋山道男に思い知らせた人物こそがめぐみだったのかと。今も明らかではないその最期も本作では酩酊しながら睡眠薬をかじり郷里の母親に電話をかける孤独な自死として描かれている。「実録物」で注目された白石監督の作品には本当にあったことだからしょうがないでしょうという開き直りというのか至極クールな切り札が字幕となって登場するが本作にはそれがない。餞の言葉は「この映画を われらが師 若松孝二こと この時代を駆けた人々に捧げる」のみ。ならば己自身がスペシャルサンクスなクレジットを体まるごと捧げようとした門脇麦のガッツにこちらも燃えてくる一本。あれは女優魂というよりガッツである。この時代の心意気である。

大人のヒデキを振り向かせたいのは

9月7日、西城秀樹『ゴールデンベストシングルコレクション』(SONY MUSIC)を聴く。本作は72年『恋する季節』でデビューしたヒデキを83年『ギャランドゥ』まで収めた「懐刻盤」。本作のヒデキはデビューから4枚目までの青春歌謡期、『情熱の嵐』からの歌謡ロック期、阿久悠と組んだ大人の歌手期に分けられる。私がヒデキの音楽に生身で反応していたのは阿久悠と組んだ大人の歌手に変貌しようとしていた時期。その中でも78年5月25日発売の『炎』は忘れられない。この時代にはロックバンドからボーカルだけを引き抜いて売り出すロック歌手と呼ばれる新人歌手がいた。が、その大半は歌もルックスもヒデキの模造品だった。ヒデキ自身も同様にバンド出身なのだがロック歌手には属さず歌謡アイドルの枠で激烈にロックを演じた。それらが一段落したところで大人の歌手を目指し始めたのだが。『炎』はホテルのディナーショーが似合う大人の歌手路線からいったん降りるというか半ばあきらめて再びシャウトする無様さが痛くも印象的。「一生一度ならピエロも主役さ」という一節は『男はつらいよ』か『トラック野郎』の世界であり中年男のため息に近い。「ヒデキって年ごまかしてるんだって」などと当時の小学生の間でも騒がれていたが。大人のヒデキを振り向かせたいのは『ザ・ベストテン』に熱狂する子供なわけで。事態は土俵際にあったよう。結果的にはというかセールスのみが結果ならば大人のヒデキ路線は次の『ブルースカイブルー』の強引なまでの達観と老成で幕を引く。が、その直後には更に強引なアンコール展開とも思える『YOUNG MAN(YMCA)』の特大ヒットが待っていた。バンドにこだわらなくともロックできたヒデキであればディスコソングで小学生を踊らせることも可能だったかと今では思う。けれど元々デパートの屋上で青春歌謡を歌っていたヒデキには野球場であれホテルのディナーショーであれ容れ物はどうでもよかったのでは。無論ジャンルも作家陣も。本作のジャケットをショップで手に取った私は横尾忠則か、さすがはヒデキと感心したがジャケットデザインは吉野修平なる人物による横尾調のコラージュ。だが見ようによっては香港土産のブートみたいで格好良い。晩年の夢グループのステージで歌うヒデキを私は観たいとは思わなかったが。人前で歌えさえすれば容れ物は何でもいいという信条は最期までヒデキらしかったと思う。実際何でもよかったのだから。ヒデキがやるとなれば。

本作が刺激になり欲も出てきたのか

8月31日、原作 阿久悠 画 上村一夫『人喰い』(双葉社)を読む。本作は71年1月から4月までWEEKLY漫画アクションに連載されたコミックスを初めて単行本化したもの。70年代初め、「高度経済成長の犠牲となった故郷を棄て人を喰い漁り芸能界の頂点にのぼりつめていく女」の出世物語である。『あしたのジョー』の女性歌手版のような設定は当時他にもあったようだが本作を含め大ヒットには届いていない。阿久悠はすでに作詞家として売れ始めていてサラリーマン時代の後輩だった上村一夫が劇画化として売れ始めていたところへ手を差しのべるように原作を預けた。が、さほど当たらなかった本作をまたいで翌72年に上村一夫は『同棲時代』で大ヒットを放つ。本作が刺激になり欲も出てきたのかその後は「劇画史に一時代を画した」ヒットメーカーに。本作の主人公、紀藤那美岐は物語の冒頭で宿敵の人気歌手、岬エリと出逢う。河原で幼なじみと逢引きする那美岐の前に突然スターであるエリが現れて自身もいつかスターになるつもりでいる那美岐に田舎者がふざけたことをと罵倒する。利害関係のない者どうしが出逢うべくして出逢いぶつかり合うべくしてぶつかり合う作劇は三島由紀夫の戯曲や増村保造の脚本を思わせる。出逢うべくして出逢った宿敵どうしによる冒険劇はそれらと無縁の市井の人々へのサービスなのだろうか。サービスにしてはヒステリックで挑発的である。恐らくは冒険的人生とは無縁のつもりでいる市井の人々の心に揺さぶりをかける目的でヒステリックに挑発しているのだが今の時代には単に傍迷惑な感もある。しかし70年代初めにはそうした凶行めいたハプニング志向がまだ許されていた。自分達二人がタッグを組めば世の中が大騒ぎになる話題作が生まれるはずという熱気は本作からも伝わるが。芸能界の暗黒面をえぐる物語を直後には『スター誕生』の審査員を務める阿久悠が書いたなら主人公の那美岐を拾い上げ扱き上げる悪徳マネージャーの矢野は阿久悠自身かと想像してしまうが。終盤に那美岐の応援団のごとく登場するカメラマンのケリー紺野なる人物はどう見ても若き阿久悠。先輩ばかりに我身を切らせては申し訳ないと気遣ったのかケリー紺野は最後まで硬血漢で頼れる男である。「蘇る奇跡の共作!!」などと大きな声で今この時代に称えるのはどうもまずい内容の本作ではあるが尊敬する先輩が自分に手を差しのべてくれたその恩義をすぐにも返すことができたことは奇跡のような必然だったと思う。

新たな名門作りに一役買って後に恩を

8月17日、西村賢太 著『夢魔去りぬ』(講談社文庫)を読む。本書は15年に単行本『痴者の食卓』として刊行された短篇小説集を改題し文庫化したもの。新たに表題作となった『夢魔去りぬ』の主人公、北町はテレビ営業にも色気を見せる人気作家。ある番組への出演依頼が「薪潮社の或る雑誌の編集部を通じて」届く。自身の卒業した小学校で自身発案の課外授業を開くという設定のその番組に「何しろ私は性犯罪者の倅である」北町はとまどいながらも出演を決めるが。制作側の「熱意と誠実さは、これは何だかすさまじいものがあって」北町をおののかす。なぜそこまで「いい番組」にしたいのか。新たな名門作りに一役買って後に恩を売りたいのではと疑う私も放送されたその番組を楽しんだのだが。「夢魔」というのは北町が度々見るという「多分、どこぞの学校の中なのである」その異空間を自身がさまよい歩く夢のこと。先々どうなるものやらという不安の現われが会社経営者やフリーランスの人間がよく見るといわれるそのような夢をアンダークラスにあたる私も年中見る。その日母校を訪れた北町は校舎の階段こそが執拗に夢に現れるあの階段だったかと合点が行く。「それがまさかに、実際に自分が通い、そして一切合財の記憶を閉じ込めていたこの小学校のものであったとは、今のそのときまで、まるで気付かぬことだった」と思い知るもだからどうということもあるまいと気持ちに区切りを。性犯罪者云々という自身の当初の売り文句にそろそろ決着をつける作品を書ける自信がついたのか「これならば、こと自己の痛みについては恰も他人事のような涼しい顔でもって筆にのせることもできるに違いない」とこの度のテレビ営業に感謝する格好でこの一篇も終わる。「わたしのお父さんは、昔の北町さんのことを知っているそうです」、「―ぼくも、あなたのお父さんのことは覚えてますよ。どうかよろしくお伝えくださいね」という北町と女子児童の放送されなかったやりとりからもやはり「いい番組」にしようとする空気は伝わる。が、ふいに私はバブル期のある深夜番組を思い出す。代理店の宣伝会議のようなセットに広告マン志望の素人衆を招いて企画をプレゼンさせ、玄人衆がくそみそにけなすというその不快な番組と本作に登場する番組とは上から視線でお手並み拝見しながらも使えるネタはいただこうとする制作側の狙いはまったく同じでは。北町はあのように見えて実は百戦錬磨の営業マンである。

といっても映画自体が既に楽屋おち的

8月14日、小林雄次 著『モリのいる場所』(朝日文庫)を読む。本書は5月に公開された沖田修一監督の同名映画のノベライズ。著者は日大芸術学部卒の脚本家で以前にも映画ノベライズを手掛けている。同じ日芸の沖田監督の後輩。映画の録音を担当した山本タカアキも日芸の一番先輩だそう。大学時代の先輩後輩が商業映画に再び集って仕事をするなど今の時代には果報な出来事。映画にもそんな果報な夏の一昼夜が綴られ好感が持てた。映画ノベライズなるものが普及したのは割と最近では。大概は監督や脚本家が自作への思いたっぷりに本筋をあれこれふくらませて楽しませようとするのだが。映画に好感が持てた読者以外にはそれが却って興醒めすることも。著者はその辺りの地雷を踏まずに本書を楽屋おち企画から一段押し上げた感。といっても映画自体が既に楽屋おち的なのだが。70年代半ばの東京池袋の雑林に妻と暮らす94歳の画家、熊谷守一のもとを訪ねる人物たちの交差をたった一日切り取った群集劇。国民的芸術家ながら周囲に仙人呼ばわりされつつも静かに暮らすモリこと画家、熊谷守一の広くもない家には来客が絶えない。画商、画学生、後援者、不審者がまとめて押し寄せてモリ自身はされるがまま。但し夜8時から画室にこもる際は妻ですら面会謝絶。94歳の巨匠の描く小宇宙的作品は映画にはあまり登場せず身内といえば身内のような人々が織り成すドタバタコントが延々続く。ノベライズではその身内のような人々それぞれの視点からリレー式に映画を再生していく。来客のみならず文化庁の役人、昭和天皇のみならず郵便局員土建屋のみならず庭に住む蟻まで、更には庭そのものまでが自身の視点からのモリの人物像を語る。なかでも蟻の語る章の「最後に人間である読者諸君に警告しておこう。自然を甘く見ないことだ。自然を破壊したり保護したりできると考えるのは、人間の驕りである」というくだり。何だか藤原新也みたいなことをいう。同じ朝日文庫からこれまで出版された藤原新也のエッセイを読み返すことも私にはなくなった。70年代半ば、宇宙船地球号なるスローガンを掲げて起きた日本のエコロジー思想もすっかり下火のよう。半分コントと受け取られても引き続き御愛顧いただきたくという売り声に呆れるならば私にも昨今云われる朝日アレルギーは始まっているのか。正直、半分コントならばまだその「場所」にも商品価値はあると思う。かっての映画学生による今度はちゃんとお金のとれる卒業制作の完成に拍手を送りたい。

アイドルの国際作家的展開というのは

5月8日、ももいろクローバーZの『第一笑 ヘシャオイーシャオ!〜』を聴く。4人組になったももクロの再出発にあたる本作は『映画クレヨンしんちゃん 爆盛!カンフーボーイズ〜拉麺大乱〜』の主題歌でもある。そちらに寄せたのか前作シングルに続く日中友好路線。伸び悩み期のアーティストが中国公演に乗り出すも結果は出せず活動休止という展開は過去多くある。ももクロの大陸への向き合い方はかつてのポケットビスケッツに近いよう。観光特使とも背水の陣とも異なる茶目っ気があるのだ。が、ともすればその茶目っ気が異文化と歴史観の隔たりによりとんでもない地雷を踏む恐れも。ポケットビスケッツの中国公演時にはまだツイッターなるものは不在だった。が、テレビ番組で千秋が大陸の聴衆に「イエロウ、イエロウ、ハッピイ」と呼びかけた時は勝手に戦慄したのを覚えている。こちらから一方的にカーペットを広げた友好ムードの上では滅多なことを口にするべきではないと思う。思うが、今の自分達にはそうした呼びかけも可能だと確信しているとしたら。だとしたら尚更まずいような気も。「優しいひとに包まれしあわせでねって願うよ だから 隣へまた隣へ 優しさの連鎖贈りたいね」というメッセージに眉をひそめる人もいるのでは。国内では当たり前に使っている外来語が当の国ではひどく時代遅れで顰蹙ものだったりするが国賓の挨拶文じゃないのだからあまり気をつかい過ぎても味気ないかとも。アイドルの国際作家的展開というのはひどく困難だ。70年代初頭、森山加代子の『白い蝶のサンバ』は当時の日中友好ムードの主題歌のようだった。京劇風の曲調に特にメッセージ性はないと思われるクイックルな歌詞を乗せた阿久悠の策略より一歩踏み込む必要が今の時代にあるのかどうか。ただ70年代と違ってそれらを発信するとどんな反響が予想されるかという下調べは事前に行なわれているのでは。「うっかり寝過ごし4,000年」、「イーアル上海シノゴの言わずに」といったフライング気味の表現も「きっとモーマンタイ」なのだと思う。しまむらのパジャマのような仕立ての功夫服を見ても大陸のキッズは心を痛めないのだと思う。が、今はどうということもない表現が後々地雷化してしまう場合もある。戦時下の欧米アニメに描かれる邪悪な日本人像を90年代に民放のアーカイブスがふいに取り扱ったように。忘れた者から先に幸せになるとは限らないが。幸せになりたければ忘れよというメッセージも今ではひどく時代遅れである。