次元を超える作家、阿久悠の始まりの

5月3日、阿久悠 著『昭和と歌謡曲と日本人』(河出書房新社)を読む。本書は07年に逝去した作詞家 阿久悠が01年から07年まで新聞連載していたコラムを集めたもの。亡くなったのは07年8月でありコラムの最終回は7月22日。直前までNHK FMで自身のアンソロジー番組にも出演していたが収録中も危険な状態が何度か訪れたという。最期まで仕事に没頭していたかったというよりも公に姿を見せることで静養するよりパワーチャージできるのではという賭けに出たのだろう。似た例はその後いくつも見られるが阿久悠のアクセルのかけかたはその後のいくつかの例とはタイミングもスケールも違う。90年代初めに嫌々引き受けていたことが昨年放送された自伝ドラマで明らかになる最盛期の自身のアンソロジー企画に近いコラムは本書の第五章「昭和の歌とその時代」に登場する。『無名の意地』のタイトルでデビュー作『朝まで待てない』を振り返るが。当時は無名の意地でぶつかっていった初仕事を今は有名になったのちの遺産として繰り返し解説させられる役回りに内心辟易している感も。晩年の阿久悠の再チャレンジには『書き下ろし歌謡曲』がある。歌手も作曲者も不在の注文のない歌詞をあてどなく発表したもの。武術家が型だけをみっちり披露したような印象で世間向きにはスルーされていたよう。本書には最晩年の阿久悠が再々チャレンジした『スーパー歌謡曲』なるものが登場する。「花も実もある絵空事のパワーで、傲慢な等身大、有視界、自己完結を飛び越えようと思っている」「市川猿之助さんの『スーパー歌舞伎』を考えて貰っても構わない」などとフルスロットルで描く年齢も性別も国籍も超えて感動できる歌謡詩のことらしい。その第一作は『どこでエルビスと出会ったか』。「コインを一つ投げ込んだ」「I want you I need you」「あんたはもしや エルビス・プレスリー」「その色っぽさは何なのだ」と続く詩世界にはやはりコラムのタイトルの『エルビスの春』の方が似合う。次元を超える作家、阿久悠の始まりの演目はロッカビリーであり、舞台は当然東京有楽町の日本劇場なのだろう。あの界隈が20年にやって来るオリンピックを経ても依然とどこか最盛期を過ぎた御隠居さんの街ではいよいよ淋しい気もするが。傲慢な等身大をまずは忘れてみなさいという歌謡界の巨星からのメッセージを頼りに私は私にとっての日劇を見つけに行こうかと。

火木香って黒木香かなと

4月30日、阿部共実 著『月曜日の友達②』を読む。帯文には「マンガ賞総なめ!」「10万部突破!」などの二倍は大きな活字で「糸井重里さん感涙!」とある。学問の世界では30年以上前の出来事から歴史の中にファイルされるとか。若者文化史上の先人を感涙させたらしい本作にてシリーズは完結。80年代の学園漫画のように中高生のまま5年10年と引っ張るのは現在では無理があるということか。『空が灰色たから』(秋田書店)の狂犬病のごとき饒舌と比べれば本作は天然記念物なみの静謐さ。執拗に丁寧な描き込みの背景にはマンモス団地やカラオケ広場が歴史化しようと生き延びて真価を問われようとする気概を感ず。心を揺すぶる青春ドラマはいつの時代もいわば美辞麗句たが。本作には美辞麗句の宿敵となる無理解な教師や家族は顔を見せない。宿敵ながらも堂々と顔を見せて友愛を求めてくるのは子分に逃げられた人望のない不良少女の火木香だけ。「ふがふがうるせえな。私は男家庭で育ったからちょっと荒ー(あれえ)だけだよ」などとビッチの言い逃れのようなその主張にふと思う。火木香って黒木香かなと。黒木香飯島愛のように正確には受け入れられていないお茶の間の人気者の悲哀が火木香のキャラクターに描き込まれているのかと。「学校をもう一度めざせ!」と月曜日の友達である水谷茜と月野透に最後の後押しをする火木香だけが正確には世間に受け入れられない道で大成してしまうのかも知れない。「もっと色んなものを見て感じて勉強もして自分に何ができるか試したい」と悟ったはずの水谷茜もやがては都会から傷付いて帰ってくるのかも知れない。『アメリカングラフィティ』の後日談のような最終章に登場する後ろ姿の新一年生女子はもしや月曜日の友達の二世にあたる一粒種ではと私はほっこりしたが負け組中高年の感傷かとも。あとは野となれ山となれと無骨に言いきるほどに青春ドラマとしての完成度は上がるきれいさっぱり潔く幕を引く態度に誰もポプコーンを投げつけたりはしない。が、まだ右も左もわからない新参者までがいざとなったらこの俺が腹をなどと自信満々うそぶく近年の風潮にアレルギーの私には本作がミドル層中心に賞賛されているのがやや不満。現在から離れてもらしからぬ異様な若者に言うべきことを言わせる作風は増村保造の異様なドラマ作りに近い。やがては全篇笑って観ればそれでいいものなのかも知れないが。最近の帯文には「○○さん激怒!」なんていう例もある。それもまた売りになる異様な時代なのかと。

サラダといえば芋サラダ世代である私

4月18日、『茨木のり子の献立帳』平凡社 写真=平地勲 を読む。以前にこの場で詩人、茨木のり子が唯一残した児童書『貝の子プチキュー』を児童文学の外側にいた茨木のり子が一回こっきりの冒険に挑んだ意欲作などと私は評した。が、『貝の子プチキュー』は茨木のり子が放送劇用に書いた脚本を没後企画として絵本化したものであり書いた本人は完成品に触れていなかったのだ。「現代詩の長女」と言われる詩人の略歴に紛らわしい茶々を入れてしまったお詫びに本書を紹介させていただきたい。本書は茨木のり子が昭和24年に始めた新婚生活から昭和50年に夫と死別するまでに残した日記と料理レシピを原稿にして個人所蔵の写真と撮り下ろしの写真を加えた料理本。撮り下ろしの写真とはレシピを元に調理した品々をスタイリッシュな器やインテリアで演出した写真のこと。昨今の映像業界には料理を美しく見立てるフードコーディネイトなる専門職が存在する。本書で料理・器 織田桂とクレジットされる人物がそれにあたる。トップメニューの「みどり式カレー」の外観は東京の下町で千円弱とられても納得の感のエスニック風カリー。発案者のみどりさんとは詩人、友竹正則夫人のことと注釈に。友竹正則のことを『くいしん坊!万歳』の歴代リポーター同様に映画のいい時代にスターだったおじさん俳優かと少年期の私は思っていたが。本業は声楽家で詩人であり料理本も多数著す食通であった。70年代には詩人もまだスターだったのか。茨木のり子川崎洋を中心とした詩誌『櫂』のグループは50年代半ばにシュークリーム詩人たちと揶揄された。お坊ちゃま集団という意味であり、その後の自由劇場の俳優や渋谷系ミュージシャン同様に憧れと嫉妬の対象だったはず。みどり式カレーが発案された頃の庶民はまだグリコワンタッチカレールーの出現におののいていたはず。「ターメリック(大さじ2)、カイエンペッパー(大さじ2)」なる表記にも何のことやらであったろう。それでも昭和30年代の東京の片田舎で入手できる食材はまだ決して豊かではない。サラダといえば芋サラダ世代である私にとっても今なお憧れと嫉妬の対象である茨木のり子の献立帳の魔法は解けそうで解けない。別にセレブじゃないんですよと結構なセレブに言われた時の拍子抜けというのか。昭和40年代の若者の熱愛した番カラ気質は茨木のり子のスマートぶりに代表される種も仕掛けもないハイカラにやっかんでいたよう。別に普通といえば普通ではあるんだが。

危険と引き換えに堅気の数倍の収入を

1月26日 、石井光太 著『浮浪児1945−戦争が生んだ子供たち』(新潮文庫) を読む。本書は77年生まれのルポライター石井光太がこれまで途上国のストリートチルドレンを取材し数々のルポを記した際に日本国内では同じような問題をどう解決してきたのかを疑問に思い戦後の浮浪児の取材にあたったもの。『新潮45』に元になった取材記事が連載されたのは12年から13年の間。終戦直後に就学児童である筈だった浮浪児たちは既に70代を過ぎており当時を語り継ぐにはギリギリのタイミングに。戦争孤児となり住むところも食べるものも自力で確保しなければいけない状況の中で浮浪児たちが得た収入源は靴みがき、新聞売り(拾った読み差しの新聞を高値で売る)、PX転売(米軍の放出品を高値で売る) など。これらの仕事で稼いだ日収は当時の公務員の倍以上。であるが浮浪児たちには安心して眠れる場所もなく地下道で眠る間に丸裸にされるなど日常が非日常。自殺者、発狂者も増える中で彼等にまず手を差し伸べたのは暴力団と街娼。当時の暴力団の収入は公務員の初任給を一日で稼ぐほどだったとある。堅気の職業の日収の倍、公務員の初任給をわずか一日でというくだりに思い出すのは寺山修司の『書を捨てよ、町へ出よう』に登場する官庁勤めにあっても官僚コースを外れた課長どまりのサラリーマンが「ああ、俺の一生かかって稼ぐ月給は、山本富士子の映画数本の出演料だなあ」となげく不良少年入門の章。危険と引き換えに堅気の数倍の収入を得る点で更に連想するのは映画『ガス人間第一号』(60年 東宝)で主人公が研究者に口説かれて自身を科学実験に提供する謝礼がやはり勤め人の月給を一日で得られる「曲者な金額」だった場面。いつの時代も「曲者な金額は行き場のない若者を狙っているよう。今現在なら『ダウンタウンDX』に登場する芸能人の普段着の総額云百万円という数字は「曲者な金額」なのでは。「だが、今の日本にはがむしゃらに生きる姿を見かけることがほとんどなくなってしまった。時代の変化と言い切ってしまうのは易しいが、浮浪児たちの人生から生きることの意味を考えてみるのは、今の私たちには必要なはずだ」と考える著者の願いとは裏腹かどうか今の日本で「曲者な金額」に挑む若者は必ずしも世間向きに羨望を浴びないよう。その意味でもガソリンを使い果たした日本の戦後のその先を生きる若者の欲望の行方が気掛かりに。

こうした節倹精神はデビュー当時から

1月20日eastern youth 『SONG ento JIYU』(裸足の音楽社)を聴く。昨年これは間違いなしとショップで手に取るも何故か聴き逃していた本作。音楽誌等の年間ベストにはほぼ見かけずもしや残念賞と疑いつつ。イースタンユースにはまだ辛うじて紅白出場叶うほどの小ヒットもなければ家に帰ればセキスイハウスのCMソングでお馴染みといった知名度もない。そうした立ち位置に余り遠くないようなまったく正反対にあるような。何が引っかかるかと言えばやはりプロテストする、物申すアーティストである姿勢を変えない点か。本作で最もプロテストしている『同調回路』の「価値観の共有の枠を越え 押し付けられる伝統と文化 そんなもの俺には要らない」、「俺は同調しない」というくだりに登場する伝統と文化とは何か。例えばおもてなしとクールジャパンの今後の行方についてあんなものはハロウィンやロッキーホラーショー愛好会みたいなもので楽しんでるんだから邪魔しちゃ悪いかと私は思う。が、楽しんでるだけのパーティ民族が庭先に玄関に侵入しようと両手を広げて笑っていられるかとも。大病した後も相変わらず修行僧のような吉野寿のボイスに新メンバー、村岡ゆかのコーラスが加わるとより宗教的ムードが増した感に。本作の歌詞カードというよりスノッブ古書店のレジ脇にある豆詩集のような小冊子にはイースタンユース 吉野寿、田森篤哉、村岡ゆか、とクレジットが。90年代組のアーティスト名にカタカナ表記が多いのは恐らく彼等が思春期だった85年、日航機墜落事故の報道でカタカナ表記の乗客名簿を見た際に命の儚さ、尊厳の有無に直面した影響からでは。その後の若者の流行は軍用ジャンパーに鑑札タグを下げてみたり、商品バーコードを刺青してみたり表面的には尊厳と自由を軽視する。が、その割に口をついて出る言葉は「天下取り」や「一般民」など極端に自分の立場のみを守りたがる傾向にあったよう。そうした90年代の若者たちの多くが行き止まりの四十路にあって辛うじて生き延びているイースタンユースが掲げる旗はあえてお子様ランチ仕様。そんな印象のデザイン。こうした節倹精神はデビュー当時からあったよう。優雅な赤貧ぶりはモダニズム文学の流れを汲んでいる風で私などそこに惹かれ筈なのだ。が、これは間違いなしといったん手に取るも保留に至った私と同じ慎重な反応がバンド周辺に今もあるのでは。その辺りいずれ「極東最前線」の現場で確かめようかと。現場は未経験なので。

笑わば笑えといった経済事情の中で

1月17日、『円谷プロ特撮ドラマDVDコレクション50号』(ディアゴスティーニ)より『怪奇大作戦 第22話 果てしなき暴走』を観る。脚本、市川森一。『怪奇大作戦』は68年、TBSで放映された“科学を悪用して犯罪をおかす者と正義と科学を守る者との対決を描く怪奇犯罪ドラマである”が、当時人気の海外ドラマ『スパイ大作戦』や『宇宙大作戦/スタートレック』のような作品を国内で半分の時間尺と比較にならない低予算で作り上げた壮絶なカルト番組。本作の市川森一脚本には謎のスポーツカーが撒き散らす特殊ガスで後続車の運転手が錯乱状態になり事故を起こすがスポーツカーの持ち主のアイドル歌手はシロ、スポーツカーの整備士はクロに近いシロ。真犯人は行方知れず。あえて言うなら現代の車社会そのものが真犯人ではという一応の筋書きはある。が、それらは『怪奇大作戦大全』(双葉社)の作品解説を今読んで初めて気づかされること。本編を繰り返し観るにつけ感じるこの人たち一体何をしてるのかという疑問はシリーズ全編にも。68年、東芝よりデビューしたジャックスの印象について中村とうようが「新しさということで言えばまさに最先端だった。しかも、アイデアが演奏力を超えていて、やりたいことが充分こなせないモドカシサが丸見え」(レコード・コレクターズ 94年11月号)と評しているがまさしくそこに通じる感が。科学捜査研究所、SRIの本部に集まるメンバーたちの吐く息は白い。当時のスタジオはそれほど寒かったのだろう。暖房すらままならないスタジオでハイウェイを走行中の車から遠隔操作で運転手を緊急脱出させてパラシュートで無事一命をとりとめる様子をレーダー画面で見守る演技をしているSRIのメンバーたち。笑わば笑えといった経済事情の中で最先端の科学で悪を討つ怪奇犯罪ドラマを作り上げたその心意気。まるで藁と材木で作った対空砲と戦闘機のような手作り手弁当の悪戦苦闘ぶりは近年『野火』で塚本晋也監督が見せた段ボール製の装甲車の活躍を思わせる。心意気だけは受け止めたい健気さが『怪奇大作』にもジャックスにも塚本版『野火』にもあるのだ。そこで演じられる野蛮は途上国の大道芸人が頼みもしないのに目の前で顔面に針を刺してみせる姿勢とはほんの少しだが違う。本作『果てしなき暴走』における笑わば笑えという姿勢はあくまでポーズなのだ。笑わせる余裕などないのが実情だったとしてもまだ何者かに屈しきるまいという意地というかやはり心意気が。

歴史の上では『解体新書』といえば

1月13日、みなもと太郎 著『風雲児たち蘭学革命篇』(リイド社)を読む。本書はNHKの正月時代劇として三谷幸喜脚本でドラマ化されたばかり。みなもと太郎による原作漫画は40年近くも連載されている超大作だが。本書は三谷脚本がつまんだ蘭学者前野良沢杉田玄白蘭語(オランダ語 ) の解剖書、『解体新書』の翻訳本を刊行するまでの顛末を再編集したもの。ドラマでは原作に登場する更なる風雲児たちも通りすがりに続々と略歴付きでご紹介までといった展開に。興味のある向きは全29巻、以下続刊の原作漫画を紐解いてみてはということか。歴史の上では『解体新書』といえば杉田玄白と伝えられているも実質的なリーダーは前野良沢であり刊行直前に感情のもつれから降板した良沢の側から見た蘭学事始めというのが本書の視点。歴史好きがよく肩入れしたがる年表からこぼれた幻の天下人ものというのか。みなもと太郎の単行本が今この時代の大型書店に平積みされている歴史的事実にずっこけた昭和40年代男は少なくなかったのでは。本書に収められた作品が発表されたのは80年代初頭。楽屋落ちギャグに登場するタモリアゴ&キンゾーいがらしみきおといった名前には時代を感ず。特にタモリは"日本史上最大の奇才"である平賀源内の再来のように描かれている。みなもと太郎タモリに当時何か接点があったのかどうか。タモリの無名時代からの相談役といえば赤塚不二夫ビートたけしの無名時代からの相談役といえば高信太郎。当時のみなもと太郎がじゃあ俺もタモリと言いたいところだけどアゴ&キンゾーでと考えていたかどうか。歴史を逆読みさせてもらえば当時のアゴ&キンゾーに目をかけるのは現在のは現在のネルソンズに目をかけるようなものかと。只、いがらしみきおにこの時点で目をかけるのは後にギャグ漫画界の闇将軍のような立ち位置に至る著者らしいというか。本書の後半で良沢が翻訳原稿を国士である通訳者に国内最高水準と認められるも自分の蘭学なぞカスみたいなもの、それで日本一ならこの国の実力とは一体という憤りは恐らくみなもと太郎の胸の奥にも三谷幸喜の胸の奥にもあるはず。80年代半ば、カンヌでグランプリを競い合った『楢山節孝』と『戦場のメリークリスマス』のどちらが日本アカデミー賞を手にするのかと本気で苦悶する日本人が一人でもいたか。いたらどうかしてると今現在『陽暉楼』という作品の前で両手を合わせ涙する日本人が一人でもいるか。いたらどうかしてる。絶対にどうかしてる。