『ルパン三世』よりずっと児童向きな

2月3日『ガンバの冒険 Vol.3(最後の戦い 大うずまき)』(ぴあ株式会社)を観る。75年 東京ムービー作品。脚本は大和屋竺、音楽は山下毅雄と『ルパン三世』と同じコンビのが本作を私はオンタイムで観ていたが最終回は観ていない。『ルパン三世』よりずっと児童向きな作画に抵抗があったのかも知れない。が、適役のイタチ集団の総長、白イタチノロイの描写はグロテスクで狂暴。大和屋竺は90年に『東京流れ者』のLDの解説文に「奇妙だ。二十四年経ってみるとこの時空感覚はナウイ。六〇年代の清順映画を観るなら、今がいちばん、ということなのかも知れない」と寄せているが。『ガンバの冒険』の時空感覚が今観るとナウイかどうかは微妙なところ。適役ノロイの側から見るとガンバたちネズミ集団は特に利害関係のない存在なのだが自身らのプライドにかけて殲滅しておきたいよう。切羽詰まった事情もなく一触即発の関係が始まる設定は70年代半ばならではか。つかこうへいの『熱海殺人事件』のオープニングやダウン・タウン・ブギウギ・バンドの『商品には手を出すな』の語り出し同様に出合い頭に自身の煮えたぎった激情を観客に容赦なく投げつける態度こそ時代の空気か。爆弾テロや内ゲバのニュースよりも深夜バラエティの過激ぶりの方が目が離せなかった当時小学生の私にとって『ガンバの冒険』は切羽詰まった課題たりえなかったが。大和屋脚本が児童アニメだからといって甘口に仕立てられている筈もない。本作には子供番組の最終回らしく遂に現れた勝ち目のない大敵とどう闘うかというテーマがある。戦闘メカが操縦士を無視して自爆攻撃を仕掛けたり後一回でも変身すれば絶命してしまうヒーローが最後の闘いに挑んで失踪するような定型と本作はどう違うのか。最終回、ノロイに殲滅させられそうなガンバたちを救ったのは大うずまきである。うずが巻き起こるタイミングを見計らってノロイ軍を誘導したガンバ軍は仲間の海鳥たちに救出される。が、狙い通りうずに巻かれたノロイ軍にガンバも道連れに。かと思えばガンバはどっこい生きていたという結末に衝撃はない。ないが神風信仰のような結びが児童アニメらしく甘口だとも思えない。「男の旅に終わりはないのでーす!」と再び流民に戻るガンバたちはいわばフリーランスな傭兵であり自身のアンテナ(しっぽ)だけを信じていずれにも味方する梁山泊である。70年代半ばの若者たちにはまぎれもなくナウイとされる梁山泊なるライフスタイルが今現在の若者たちにどう観られるかはやはり微妙なところではあるが。