西日本の皆様にのみあけおめである

 1月12日、正午近くにムクムク起き出して大塚までひた歩く。駅前のショッピングモールをくぐり抜けて、かつて名画座のあった今は焼肉屋である雑居ビルの前に立ち止まる。今は焼肉屋でしかないその建物を只ジッと見入る。後期の日活ロマンポルノを家主のエイチとよく観に行ったものだ。当時のフライヤーや番組表などまだアパートの何処かに探せばありそうだ。もしもいずれ今のタコ部屋から脱出する機会がやってきたとしたらその時は大変だ。
 個人的な思い入れのあるそうした風俗資料が後から後から出てくるに決まっているからだ。あまり見たくない劇団時代の写真とか小道具とか。一眼レフカメラを手に入れてから大体二年ばかり続いた写真家気取りで残したスナップの数々とか。そういう物に出くわす夜に、きっと私が思うであろうことはひとつ。もしも当時このまま出逢いと機会にめぐまれてこの道でモノになっていたらというたわけた妄想である。役者をしている写真を手にとればきっと、唐十郎との出逢いを妄想するだろう。その劇団の母体である大学の劇研から唐組の女優が一人生まれたという只それだけで。同じクラスの女の子が街頭で芸能スカウトされて今はテレビに出演しているというだけで自分もそわそわしているブスと一緒である。あの時、唐さんに逢えてりゃなァ。
 そんなことより去年私は新文芸座石井輝男の最後の作品「盲獣VS一寸法師」を観た。盲獣役の狂気の芸術家を演じた平山久能という俳優はあのわんやさんである。あのわんやさんてどのわんやさんか説明すると一日かかっちゃうから。いや一日もかからない。私が十余年前に所属していた小さな劇団の同窓生が当時漫才の瀬戸わんやにそっくりだと皆に親しまれていた通称わんやさんなのだ。そのわんやさんがその後自らの劇団ゴキブリコンビナートを旗揚げしオメシャン、Drエクアドル等々と改名を続けて現在は平山久能に落ち着いたようだ。私の知っているわんやさんの本名に少し似た響きを持つ平山久能の看板でいつの間にか大河ドラマに出演してたりして欲しい。
 んなこと考えつつ大塚駅北口のひなびた神社にて手と手を合わせたのが今年の初詣。遅いっちゃ遅いが自宅にはまだ去年のカレンダーがぶら下がっている次第である。どうも毎年出足が不調というかだらだらとなだれ込むよな年越ししかできないよう。駄目なんじゃないかそれは。駄目は駄目よはっきり言って。今年も駄目を極めようかと。いや、極めようとして極まった駄目さは美しくない。さりげなく野球帽、さりげなくズタ袋の精神でことよろ。