フォーキーな四畳半ドラマに移行して

8月20日、ツタヤで借りた『俺たちの勲章』のDVDを観る。Gメンが苦手な小学男子だった私がその頃どんな刑事ものに憧れていたのかといえば俺勲だった。トランザムの音楽にも震えた。ビートルズの『レット・イット・ビー』の間奏がトランザム風でよいなどとあべこべなことを今でも口にしてしまう。結果同レベルの音楽愛好家といびつな音楽愛を交換し合うだけの半生、いやもう人生。
俺勲第4話「撃て!アラシ」は中村雅俊演じるアラシ刑事が犯罪者の情人に心乱れながらも最後は傷つけ別れるパターンを本シリーズに導入した初めの一作。脚本は俺たちシリーズの鎌田敏夫東宝作品である俺勲が途中から中村雅俊を押した青春ものにシフトしたのは当然のなりゆきだったかもしれない。本シリーズには青春物に欠かせぬ主人公らの心の拠り所である大衆食堂が登場するしそこには面倒見のよい女主人もいる。始めは松田優作演じる中野刑事が常連客で店員の佐藤蛾次郎は情報屋みたいなことをする弟分というマッチョな設定だった。が、この回からアラシ刑事とヒロインの短い交情をメインに据えたフォーキーな四畳半ドラマに移行していく。
クライマックスで『いつか街であったなら』が流れてヒロインとの出会い、笑い、涙を回想しながら中華街をクリーム色の三つ揃え姿でひた歩く中村雅俊こそが私の小学生時代のアイコン。結局のところ自分のことなどあまり関心がなかったのかもしれない週替わりのヒロインとの愛憎劇のダイジェストでシメようと思えば見事に東宝的にシメることはできる。ただそうした青春物の宝石はそろそろどうなんでしょうという迷いもあったのかもしれず。しかし中村雅俊による青春物は行き場がなければないなりの青春群像を描く形でこの後も生きのびた。
小学男子だった私も中学男子くらいまで中村雅俊に憧れ続けた。『ゆうひが丘の総理大臣』は好きな漫画だったが全然イメージ違った中村雅俊のソーリ役に不満はなかった。が、バブル期に入りそこそこの会社でライン外さず順風なリーマンぶりの一方で阿呆らしいほどモテる中村雅俊にはまったく関心がなかった。裏切られたという思いでもなくあれは一体何だったのかかと。
そしてその頃の私は松田優作の男の美学にあっさり寝返っていた。松田優作が面倒をみていた若手劇団の舞台までベニサン・ピットに観に行った。公演後、普段着で会場付近をはしゃぎ回る劇団員の身なりは男闘呼組のようで私の知ってる劇団員とは違っていた。よかったぜなどとは気安く声もかけにくい空気に圧倒され。芝居は全然よくなかったのに何故か。