中年から狂うと止まらないんである

 スターリン全盛期の遠藤みちろうが宝島誌上で三上寛と対談した際「中年から狂うと止まりませんからねえ」などと自嘲的に語っていた。中年から狂うと止まらない。自分も中年期に入ってみて初めて実感できる重々しい言葉だと思う。中年から狂って脚光を浴びてしまった人々のその後は必ずしも明るくない。村西とおるとか阿部四郎レフェリーとか転落した人ばかり思い浮かべて言う訳ではないが。夕焼けロンちゃんことロングおじさんなどはどうだろう。あの人は元々アナウンサーか何かであって、晩年はあのようにアメリカのカンペンタールックで視界を務めていたのだろうか。本人にとってはさほど無理のないキャラクター付けであったのか。実は毎回ストレス過多の怒り心頭であったのか。あの種の子供だましキャラを演じる中年タレントは案外恐ろしい人物であったりする場合が多い。仕事が途切れてから犯罪したり百八十度転回した極悪イメージで復帰したり。まあ阿部四郎レフェリーは元々極悪だが。

 阿部四郎レフェリーの話に戻してゆっくり語って欲しいのだろう読者諸兄よ。私もそうしたかったが阿部四郎関係の資料など今から集めるったって集まるものじゃない。女子プロファンである以前に阿部四郎のファンで今も阿部四郎ひと筋なんて人々もきっと実在するのだろうけれど。私個人の阿部四郎レフェリーの思い出といえば初めて極悪コンビと共に入場して観客とテレビの前のみんなをアッと言わせた瞬間である。レフェリーなのに。大人なのに。ある意味スポーツの本質的部分をいとも簡単にえぐり出した男だったと今になって感心する。レフェリーである前に一人の嫌われ者でありたいという主張にただあきれ返るしかなかった視聴者。極悪サイドに肩入れすることでどんなメリットがあるのか全く不明であったが、ほとんど何のメリットもなかったのではないだろうか。ただ嫌われただけで。嫌われれば嫌われるほど凄みを増すような猛者タイプでは決してないところが印象的であった。普通のオッサンがたまたま極悪レフェリーをやっている。会社の方針でたまたま極悪レフェリーとして売り出されるハメになってしまった。たまたま極悪コーナーから一緒に入場してしまった。結果として純情なクラッシュギャルズファンから憎まれ続けた。いまの阿部四郎には一体何が残ったのであろう。全日本女子プロレス阿部四郎に何を残してあげたのだろう。メモリアルビデオやフィギュアの一つも制作してあげて欲しい。誰が買うかいとお思いでしょうが。買うんだって今時の連中。特に中年層。