自由に歩いて愛したら良いのか

11月3日、『セーラー服と機関銃』(81年キティ・フィルム)をDVDで観る。監督、相米慎二。132分の完全版であるが相米作品の全13作を全編完全版でどこかでかけてもらえないものかと。公開時にはしょったシーンというのは恐らくアイドル映画の枠ではあまりにドス黒い描写であることを理由にカットされたと思うのだが。
だが30年前に「セーラー服観たよ」といった私に「嬉しいな、ありがと」などと握手を求めた純朴すぎるただの追っかけだった同級生の皆川君だってもう四十半ばの中年だ。本作の佐藤充寺田農と同年代だ。いや同年代のわけもないが今一度本作を観れば彼もまた薬師丸に対して何だいオシッコして寝なよと言いたくもなるかと。ならないか。まさか未だに皆川君は日曜朝のLFにダイヤルを合わせ薬師丸のディスクジョッキーを寝床でハフハフいいながら愛聴しているのかもしれない。
去年だったかNHK−AMの公開歌番組をぼんやり聴いていると柏原芳恵が登場して『ハロー・グッバイ』を歌い始めた。群馬だったか栃木だったかその市民ホールの観客席からは三十年前と同じスタイルで親衛隊による芳恵ちゃんコールが沸き起こっていた。根強いファンもいるもんだと感心してしまったが考えたら彼等もまた四十半ばの中年だ。普段何やってんだ。
七十代に差しかかったアラン・ドロンと豪華客船で世界旅行をしてみませんかというツアー企画が予想を上回る大反響だったという近年のニュースがあったが。薬師丸ひろ子相米村を訪ねてみませんかなぞ企画すればやはり十分な反響があるのだろうか。私なら参加するか。多分参加しない。風祭ゆきと『夫の目の前で今…』のロケ地を訪ねてみませんかという企画に出会ったなら。参加してみたい。やはりこの問題はもうそれぞれ自由に歩いて愛したら良いのか。
本作のエンディングで雑踏を行く薬師丸を取り囲むガヤはたまたま通りかかったただの通行人である。皆おっ薬師丸か、映画かとカメラに笑いかける者まで映っている。邦画のトホホな部分だねと以前に家主のエイチに語るとそんなことはない、あれが邦画の優れた部分だ、格好いいよと猛反発であった。カメラを指差す通りすがりのろくでもない人相のガヤが映ってしまっていることが優れた部分なのか、格好いい部分か邦画のと問い返すとそうだと。ゴダールより格好いいのかと問い質すとゴダールより格好いいねとエイチは語った。私とエイチはその時の議論を実は未だにぶつけ合い続けている気がしてならない。