涙の向うもそりゃ気になるんである

 テレサ・テン「空港」、安全地帯「ワインレッドの心」、クインシー・ジョーンズ愛のコリーダ」。以上は私が最近ボロ泣きしつつ聴いた名曲たちである。それまでに別にこりゃ名曲だわとは思ってもみなかったのに、新宿ニューアートにて改めて聴くやたまらず即座に感涙にむせんでしまったのである。エイチにその不思議な体験を、ある種の宗教的体験を話してみた。どうせエイチのことだから、そりゃ舞台の上におっぴろげられた世界に感涙したんだよお前か何か一笑にふすと思ったが。案外エイチは分かっていた。「ふむ、分かる。やっぱり音楽っていい音響装置でさ、デッカイ音で聴かないとダメなんだよ」「暗がりでな」「そう暗がりでな」「ドルビーで」「そうドルビー、ドルビー」などと一昔前のオーディオ評論家気取りで私とエイチは論じ合っていた。音楽は暗がりでいい装置でデッカイ音で聴かないとダメ。

 スタジオコンサートというものに行ったことがない私だがありゃどうなんだろう。よみうりランド河合奈保子のバースディライブ(を毎年開いていたのだ秀樹の妹だから当時)を観た時は野外もさほど悪くない、いい音してると思ったが。特に印象に残っているのは会場の日が落ちてからのヒットメドレーだからやはり暗がりといい音は切っても切れぬ縁なのか。

 以前に大槻ケンヂが「俺は中学生の頃この曲をヘッドホンで一晩中泣きながら聴いたね」と言ってキング・クリムゾンの「二十一世紀の精神異常者」(って邦題は今もうマズイみたいだけど)をラジオで紹介していた。レコードを泣きながら一晩中くり返しくり返し聴くという行為も中高生くらいまでにしか起こり得ない体験だろう。私にとってのそれはホール&オーツの「ウェイト・フォー・ミー」であった。それはちょっと格好付けていた。実はブレインウォッシュバンドの「コールドレイン」であった。関西出身のキャロルのコピーバンド。ジョークバンドとも今にすれば思うが、本人達はマジだったはず。赤いレザーファッションにリーゼントで曲によってはイントロからエンディングまで全く同じ曲がキャロルにあったよと田舎の中学生にも見抜かれるパチものぶり。しかしシングルカットもされた「コールドレイン」は多感な中坊のロマンをくすぐりまくる佳曲であった。今で言えば虎舞竜が歌いそうなマイナー調のロックンバラードである。じゃたいした曲じゃねえじゃんと思われるかもしれない。が、私なら当時の三倍泣けそうである。やはり暗がりで。やはり真っ赤なレザーで。レザーパンツのジップ下半身半周で感涙。