心凍らせる資格すらないんである

今年2007年が阪神大震災から12年目にあたることを気にかけている人は私の周りにも多い。阪神大震災から10年目にあたる年よりも12年目にあたる今年の方が何やら不気味な感を持たせるようなことをまことしやかに彼等は語るが。
さらに言えば亥年というのは古来より天変地異のよく起こる年だともダメ押ししてみたり。どちらかと言えば歴史的大惨事ウェルカムな風潮が年の初めからチラチラ目立つような。私はと言えばまだまだ仕事にも家庭にも疲れきってもうどうとでもなれ調の今時の四十男とは正反対の立ち位置を浮遊するプランクトン男なので天変地異は望ましくないと正直思う。
堀江しのぶ甲斐智枝美も居なくなった現世に未練はないだろうと言われればそんな気も少し。フーミンの生尻見ても痛々しいだけだしね実際。フーミンの幸せ案じつつもフルヌード待ちするような青春のエゴイズム消え去ったしね。しかし10年前にも12年前にも現在の島倉千代子のようにブルージーなフーミンの姿って想像もつかなかったが。ま、生きていればこそハレもケもめぐる訳で、だからフーミンにもがんばってもらいたいと。何を?生尻で持ちこたえてもらいたいと?その辺やっぱり自己嫌悪の種だな今年も。
フィルムセンターに『帰ってきたヨッパライ』を観に行った。数年前に下北沢シネアートンでも上映されて観に行ったが映画にちなんで前夜痛飲してしまい半分以上も眠りコケてしまったので再観をと。が、やはり今回も映画にちなんで前夜痛飲してしまいチョロチョロ居眠りしてしまった。どうもアルコールの影響というより映画の内容によって睡魔に侵されてしまっているような。初期大島渚作品に度々登場する騒音も通行人も居ない死んだような町の中で口数少ない若者同士がつぶやき合うような台詞のやりとりを繰り返すあのスタイルがである。
 『帰ってきたヨッパライ』をギンギンに興奮して観たのは十代の終りに旧文芸座の右最前列で舞台下のフェンスに短い脚を投げ出して、また、そんな態度が格好良いと独りよがりつつ観たあのときだけ。年をとればとるほど刺激の感じられなくなる映画かと。などと終映後までつらつら考えていると私の目前を快楽亭ブラックが暗い顔で横切っていった。
 今さらこんな映画観たところで大人も大人である自身には何の効用もありはしない。と、わかりきった上であえて本作と向き合ってみたかったのかしらブラックも私も。そして結果は共に仲良くフニャチン状態でスクリーンを見送ったと。フニャチンはフニャチンでも今は良い。それも生きてこそかと。