最終回は最低に最高で最悪の愛である

4月19日、ラピュタ阿佐ヶ谷にて「田中登の世界」の最終回、『㊙色情めす市場』(74年日活)を観る。本作を初めて観たのはもう10年ほど前か。亀有名画座に通い始めた頃か。パートカラー作品を観た最初か。いやそれ以前にも大島渚作品、若松孝二作品などでパートカラーなる技法には触れていたかも知れない。が、私にとってこれぞパートカラーと言える唯一の作品がこの『㊙色情めす市場』なのだ。
芹明香演じる大阪ドヤ街の娼婦トメに愛玩される知恵遅れの弟が何を思ったかニワトリとともに通天閣に登りつめる有名なシーン。村田英雄の『王将』をバックにヒイヒイと坊主頭を汗まみれにして頂上に登りつめた知恵遅れの弟の眼下に迫るドヤ街の風景。この瞬間まで続く泥沼貧困愛憎劇はすべてモノクロ。地上を見下ろす知恵遅れの弟の視点がどうやら頓死に踏み込もうとしているらしいと観客に気づかせるその瞬間からがようやくカラー映像にという演出。
初めて観たときのショックは忘れられない。当時すでに20代後半で出演している萩原朔美のこともテンポの取れない大部屋俳優としか思っていなかったくらい映画音痴というかサブカル音痴だったが本作に出会って変化した部分は大きいと思う。高倉健藤純子も登場しないものの確かに人生を狂わせかねない大問題作だと今も感ず。
本作に現れる劇画のようなドヤ街、文字通りの簡易ホテルは今も残っているのだろうか。必要に応じて強引な建て増しを繰り返したあげくに階段を作るスペースが無くなったのか廊下の随所に工事現場用の脚立が引っかけてあったり。そこまでコテコテに貧しいと逆に魅力というか一度は泊まってみたくなるような本当に救いのないダメさがたまらない。使用済コンドームを手洗い修繕して業務用として街娼たちに安売りして歩くオッサンについあこがれてしまう自分に気づいた時のおののき。人間が絶対に目指すべきではないぶざま極まる生きざまに気づくと一歩も二歩も足を踏み入れてしまう本作の磁力は30年たった今も強力に息づいていると感ず。
そしてこういう映画に触発されてしまった若者が我も我もとドヤ街で街娼のヒモの道へ進むのかといえばそうではないだろう。「田中登の世界」に触発されてしまった若者は我も我もと「俺も何かをやる」つもりになるはずである。私もまたそうだったように。何かをやるつもりになり、つもりにつもり早10年。『㊙色情めす市場』に負けないつもりで作り上げた何かを田中登本人に突き出す機会はもうこれでなくなってしまった。それでも行きがかり上つもり続けるが。