本作は表舞台に残された置き土産の様

10月20日松本正彦 著『たばこ屋の娘』(青林工藝舎)を読む。本作は漫画家、松本正彦が70年代前半に『ハイドコミック』や『土曜漫画』に発表した短編集。松本正彦は50年代に病死している。本作は表舞台に残された置き土産の様な小品だが70年代に郷愁を持つ世代には味わい深い「叙情作品群」。だが、帯に寄せた「ここにあるのは百パーセント、私のオリジナル作品です」という著者のメッセージには疑問が残る。本作の人物描写はいずれも滝田ゆうつげ義春の作風に似通っているしラストを飾る『どこかへ』ではつげ義春の『長八の宿』に登場する名物キャラ、下男のジッさんが堂々ゲスト出演している。巻末のインタビューによればオリジナルという意味は雑誌側から何の制約も受けなかったということらしい。好きな物を描きたい様に描いた結果がどこかで見た風の作品になってしまったが精一杯やれたから満足という主張は大島渚篠田正浩などの品格はなくとも日本のヌーベルバーグを追求していた職人監督のよう。描かれるエピソードはどれも都会の片隅でつつましく暮らしながら出逢い別れゆく若い男女の蜜月。中村雅俊の『いつか街で会ったなら』が聴こえてきそうな青春群像の中に70年代育ちの私が見出したものは。後半の続き物『ハッピーちゃん』に登場する主人公は三十歳の独身女性。知人の勧めで「女の仕事としてはガバーともうかる方」らしいコンドームのセールスレディを始める。昼下がりの住宅街を訪問して主婦や労務者などに営業をかけるのだが。私が小学生の頃、同級生の家で遊んでいるところへそうしたレディが営業に来て子供がいる前で何ですと一家でもめていた様子を本作を見て思い出した。やはりハッピーちゃんの様にどこかぼんやりした水商売風の中年女性だった。「今は男一人に女はトラック一台だってーじゃん」と見合い話を持ちかけられても気乗りしないくだりには80年代には逆のことが言われていた気にも。「適齢期の男女比」などというリサーチ自体が時代遅れではあるが。ならばそれぞれに孤立する男女はもういないのかといえばそんなことはない。本作の中の若い男女はみな爬虫類の様な表情で木造モルタルの安宿に寄り添う。やがて離れたあとには「近代化」の波が訪れてそこにあった生活の染みすらかき消してゆく。そのキッチュな無常観には若描きの物真似を超える著者の「オリジナル」を感ず。企画監修、ひよこ書房。発行人、手塚能理子