もう誰にもむかれたくないんである

3月18日、早稲田松竹にて『愛のむきだし』を観る。昼過ぎに劇場の前まで出向くと満員の看板が。チケット売場で係の女のコに次回も立見になりそうですがと言われいったん引き返す。中野ブロードウェイをウロチョロしながら園子温やったじゃないかと。没20年に発刊されたメモリアル評論集の中で宮台真司が寺山の後継だと言えるのは園子温一人だと言わしめた男。今時の学生街の名画座アンダーグラウンド蠍座のような押すな押すなのモッシュ興業を実現させたことは貴重な史実。本作は正味四時間もの長編映画で当初「タウンページ位になっちゃった」台本通りに撮った末編集版は6時間もあったという。それを泣く泣くカットして4時間バージョンに。それでも「体感時間は一瞬ですから」と監督自身が豪語するだけのことはあった。2時間目に実にどうでもいいタイミングで10分間の休憩が入ったとき客席はゲラゲラ笑いながらいったんお開きに。キリスト教、罪作り、盗撮、カルト教団、女装、脱出、をキーワードにまるでウィークエンダーの再現フィルムのようなチープな映像が止めどもなく続く本作は結果自身がマインドコントローラーと化したよう。天井桟敷にも真暗闇の稽古場で劇団員に脱衣させるなどカルト教団的なところはあった。いや、中野ブロードウェイを根城にする遊牧民になら寺山とカルト教団のつながりなどいくらでも指摘できるのかもしれない。『愛のむきだし』それ自体がミイラ取りがミイラになったその領収書のようなものかもしれない。それでもフライヤーの「近年№1の問題作!」はハッタリにはならなかった。主演の西島隆弘満島ひかりカップルの間に割り込むカルト教団の世継ぎである妖婦役の安藤サクラの実母は安藤和津である。安藤和津の祖父は犬養毅である。むきだしと言えばむきだしである。が、むいてもむいてもむききれないものを探り当てるための時間旅行の本作を誰に観せたいかといえばやはり寺山修司か。だろうか。計約4時間の本編を15分に小分けして『おはよう日本列島』の間に脈略もなくオンエアーするとか。そんな無差別テロルは今時近所迷惑かともわるさと再生的かとも思う。思うが08年に四十面下げて立見覚悟で早稲田松竹に行列してしまったこのリビドーを無駄にしたくないというか。松坂南ってピンサロっぽいというか。愛はお金じゃ買えない、買えないのさみたいなことを駅前でバスキングしても始まらないこの時代。ヤマダ電機で『愛のむきだし』のDVD予約する女子高生が実在しなくもないことはまだ愛か。