寺山をおたく文化の始祖と見る向きも

10月30日、寺山修司 著 『ぼくが戦争に行くとき』(中公文庫)を読む。本書は69年に刊行された寺山のエッセイ集だが没後何冊も世に出た再編集本に収録された文章も多い。私が初めて読むのは第二章『キャンパスでの演説』における68年の関西学院大学での演説録のみ。本来は学生との討論が目的だったようだがラリーには至らずトークショーのような形になる。が、討論を活字化すると現場の空気と異なる例もある。三島由紀夫と東大全共闘の有名な討論は活字で読む限り芥正彦が退屈だからと途中退場するくだりは興ざめだが近年公開された映像で見ると違う。芥正彦は自分一人で三島とやり合うことに遠慮して選手交代という感じでその場を去るが討論自体には満足そうなのだ。本書に登場する学生たちも寺山からあくびをしてるのとか今手を上げたのか頭をかいているのかなどと挑発されても無反応ではなかったのかもしれない。「文化が細分化されればされるほど、だんだん狭くなって、最後は便所ぐらいの広さになって」と語る場面には今のネットカフェや駅構内の貸オフィスを連想した。寺山をおたく文化の始祖と見る向きもある。実際おたくは学校や会社の中のほんのわずかな空間にPCと寝袋と食料など瞬時に持ち込み自分だけの稽古場にしてしまう。「友だちが出来たり趣味が増えたり、熱中するスポーツが出来たりする人たちにとって、次第に身近なものに対するいたわりが、遠くのものに対する無関心となって現れてくる」という分析はいわゆる文化のタコツボ化のようなことを予見していたのか。だが、私には現在の若者は遠くのものに対しては無関心というより過剰な期待すら持ち始めていると思える。レストランで昼食を楽しむ自身の肖像にどんなセレブが反応するかわからないから表情ひとつ油断ならないという期待。福山雅治が一度ゆっくり話したいってさと言われてあっさりその気になるのは少し昔なら狂人扱いだが今ではさほど珍しくもない若者の心の病である。「結局印象としては、学生ってのは人生をちょっと降りている。いわば人生が始まる前ですね」と言われれば確かにそうだがモラトリアムが最も軽蔑された好景気時代をかっての花園のように振り返る気は私にはない。お前はモラだったからなと言われればその通りだが。昨今、若者が人生から本気で降りるために社会的に取り返しのつかないことをやろうとするのも過剰な期待というものであり客観的にはひどく空しい一人芝居ではないかと思うのだ。ひどくいびつで不健康そうだが何か意見はとそんな彼等に思う。