便所の落書きに想像力の泉を見るよう

3月20日辰巳ヨシヒロ 著『[増補版]TATSUMI』(青林工藝舎)を読む。本作は漫画家、辰巳ヨシヒロが70年から79年までに発表した短編漫画、9作品を収録したもので5作品は11年に海外でアニメ映画化された。著者は50年代の貸本漫画ブームからキャリアをスタートさせ「劇画」の名付け親となるも80年代からは徐々に表舞台を去りつつあった。が、02年より海外から翻訳漫画の依頼が増え始め国際漫画祭で特別賞を受賞するなど評価が高まる。15年に79才で他界する直前に映画『TATSUMI マンガに革命を起こした男』が全国公開され旧作も再発された。著者の画風は貸本漫画出身だけに水木しげるつげ義春の周辺にいた経緯を想像させるあのタッチ。70年に『ガロ』に発表した『はいってます』の主人公は売れない漫画家。生活を支えるたった一本の少年誌の連載も打ち切られ路頭に迷う。駅の公衆便所で吐気をもよおしパニクるもその後も抜け殻になって飲み歩くうちに再びたどり着く公衆便所の落書き群と運命的な出会いを。束の間の夢を求めて甘えたキャッチバーの女には現実の厳しさを知らされただけでも便所の落書き群には何か負のオーラと可能性を感じたのだ。「オレはこれを書いている時の男の姿を想像していた」と落書きに見入る主人公は漫画を描き始めた頃の自身の初期衝動と向き合わされる。そこへ青年誌の編集者から誘いを受けて再びやる気を取り戻す主人公だが。「オレはいても立ってもいられないほど猛烈な心のたかぶりを感じた」「かきたい!かきたい!そんな欲望が頭の中を占領していた」あまりについうっかり女子便所に飛び込み夢中で壁にスケッチをしている姿を目撃されて警察を呼ばれる結末を迎えるが。便所の落書きに想像力の泉を見るような体験は今時の若者にもあるのだろうか。最近では個室内でゲームやスマホに没頭する利用者に怒った店主がドアを上下半分切断して欧米の刑務所式にしてしまったコンビニが近所にあるが。70年代初めの便所の落書きには手書きの出会い系サイトの様なインフォメーションもあって当時小学生の私は幻惑された。今もっと直球のインフォメーションが片手で得られると知ってもいても立ってもいられないほどには欲情しないのはなぜか。自分が老成しただけじゃないだろうという視点から昭和40年代の風俗史をひもといてみたい気もするが。当時の印刷技術によるグラビアモデルの肌の色の仕上がりを今見るとこれは半分「絵」だなと感ず。今時の若者が見れば軽く気持ち悪いのかとも。