一度は自分を受け入れたはずの世間に

7月25日、丸尾末広 著『アン・ガラ』(KADOKAWA)を読む。本書は漫画家、丸尾末広が『月刊コミックビーム』に21年から23年まで発表した連作の単行本。60年代後半の東京で暮らす十九歳のミゲルとサチコ。ミゲルは漫画家を目指して『ガロ』に原稿を持ち込む。採用されて下宿で二人踊り狂う場面は蛭子能収の同様なエピソードを思い出す。長崎から上京してまず感動したのが東京の味噌ラーメンという体験も蛭子さんと一緒。著者にとっては同郷で何の伝も無く成功した漫画家のお手本のような人物だったのか。『ガロ』に採用されたらもう大丈夫と思いきや後日発売された最新号にミゲルのデビュー作は載っていない。編集部に確かめると載せるとは言ってないという。それ以前にもミゲルは有名プロのアシスタントに採用されたつもりでいたのに断ったはずと追い返されている。一度は自分を受け入れたはずの世間に裏切られたという妄想がふくらみ爆発するまでを描いた本作の背景には京アニ放火事件の犯人像もあるのかもしれない。一人勝手な劇場犯罪者の末路ということなら本作には連続射殺魔の永山則夫がミゲルの同級生として登場する。付き合いにくいひねくれもんと思っていた永山が逮捕されると「誰にも見向きもされなかった奴が一夜にしてスターに!」とミゲルはおののくが。永山則夫が「時代のルサンチマンの継子」だった頃の輝きを私はほんの少しなら覚えている。高田渡が取り上げた詩作などを通じてほんの少しなら。中々のものだと感心したが。近年の劇場犯罪者の作品に興味は無いし漫画を描いていたからといってすぐに発表させるメディアには不信感も。後始末ばかりが事例化する様がどうにもやりきれないのだ。本作に登場する新宿東口ロータリーの名物男、新宿土竜男は局部を露出した浮浪者でアングラ劇団の街頭劇に乱入して役者より気味悪がられる。「アングラだの前衛だの浮浪者に負けてるじゃん」とミゲルは思う。私も最近同じ場所で路肩に尻を出して用を足す浮浪者が便所ならそこにあるだろうと仲間にこずかれている姿に甚く時の流れを感じた。その男が丹古母鬼馬二にそっくりだったのが尚更こたえたというのか。加藤登紀子のように大学キャンパスがいつのまにかオシャレで清潔になったらそうなるまでのことを考えなければいけないとは思う。だが、ニーチェって俺と考え方が似てるんですよなどと言いだす昨今の大学生と新宿土竜男とでは一体どちらが付き合いにくいのだろうか。