そもそも俺の家だということなのか

7月27日、南正人の『南正人ファースト』(73年 ベルウッド)を聴く。本作は南正人が八王子市美山町の自宅にキャラメル・ママを招いて録音された元祖宅録盤。現在、古民家をリフォームしてカフェや洋品店にしたりするセンスのはしりかも。そんなセンスの店のBGMには最適でも実際はヒッピー仲間が集まるせいで溢れ返った汲み取り式便所の臭いにあえぎつつ生まれた本作かもしれず。70年代を語る際、交通の便とトイレ事情の苦難が忘れられているよう。『午前4時10分前』の「ヘヘイヘェーイ」とあえてカタカナ表記された詞はまんが日本昔ばなしの世界だが。『紫陽花』の「かえりみちなど はじめからなひのに あるとおもひたくぅ」になると何を言ってるのかわからない仙人といった感。いいんだよ、わかる範囲で気楽に聴いてくれれば結構だと。そもそも俺の家だということなのか。本作の目玉ともいえるりりィとのデュエット曲『ブギ』。八王子まで遊びに来たりりィがついでにレコーディングに参加したというのは当時のかっこいいエピソードなのだろう。ラジオなどの生本番中に近くを通ったお友だちタレント飛び入り参加したりするのが70年代は喜ばれた。が、『ズームイン‼ 朝!』辺りから告知がらみになっていやらしく感じるように。本作のいかにも柄の悪いヒッピー然としたボーカル様式はどこかで聴いたと思えば「大島渚」でのみうらじゅんではないか。『いか天』出演時には裸のラリーズみたいだと審査員に絶賛され司会の三宅裕司には番組を盛り上げるためだけに出てくれたと歓迎された「大島渚」だが。私には時代のページがめくられる寸前に繰り広げられた旧世代による実力行使に思えた。80年代の終わりより70年代の初めの方がずっと面白かったんだぞという「大島渚」のアピールに賛同できた私には当時ライブハウスの床がトランポリン状にしなると狂喜する同世代が恐ろしかったが。本作を評する「アーシーなサウンド」とは何だろう。「土着的な」ということか。「自然」そのものでありこちらから呆きたり拒んだりできないものだろうか。今年のハイドパークで聴いた「日本のロック」は50年経っても同じ様に味わい深いものだったが。重要なのはあれが野外で演奏されていたことだろう。本作の始まりと終わりにも南正人の自宅の庭先にて鳥たちの鳴き声が効果音以上の絶妙な間と距離感で演奏に参加する。急な悪天候も小競り合いも腹下しも含めてのライブ体験だった時代には目立たなかった自家製喫茶ロック。