データの勝利ではなく自身の直感で

7月20日、『メイン・テーマ』(84年 角川)をDVDで観る。監督、森田芳光。81年に『の・ようなもの』で注目され、83年に『家族ゲーム』で大ブレイクした森田監督の「配収35億」を目標とした大ファール作。であるが既に森田ブームの真っ只中でもあり人気ドラマのシリーズ後半に急遽組み込まれる観光ロケといった感も。主演の薬師丸ひろ子の相手役オーディションによりデビューした野村宏伸のど素人演技も今では相米慎二作品の一発勝負のハードアクション同様もう二度と観られない点では貴重。公開当時、高校生だった私は序盤の差し向かいで会話する人物の背景だけがロケ地の名所案内風にシャッフルされる演出に天才を感じたものだが。近年、神保町シアターにて観た昭和30年代の喜劇映画に同じ演出を見つけた時はこのくらいマニアックなところから掘らなきゃ天才じゃないのだと再び感心した。データの勝利ではなく自身の直感で掘り当てた素材を今にぶつける方法論に感心したのだ。落語家も家庭教師もまったく花形商売ではなくとも花はこちらで用意するという個人の方法論。現在のテレビドラマでは脚本家のクレジットに二人分の名前がある。それぞれストーリーと台詞部門の代表でその下に作家集団が付いているよう。それに比べると80年代はメジャーな映画でも脚本は監督と脚本家の独断場であり人物設定の歪みや展開のダレも本作のようにそのままである。が、今となってはその不安定な展開こそ時代を感じさせ味わい深い。筑紫哲也対談集『若者たちの神々 Ⅰ』(新潮文庫)に登場する森田芳光は自分の映画は日常生活ですごく役に立つと語る。本作で野村宏伸がナンパした薬師丸のことも忘れ追い回す桃井かおりジャズ歌手に楽屋口で待ってたんですよと詰め寄るシーン。桃井がさらりと語りかける「それはあなたの勝手でしょ」という台詞は当時の私の胸を打った。あのシーンに学んだ大人の分別というものもあるはずで、野村宏伸の不器用な傷心ぶりは今も鮮烈なのだ。「愛ってよくわからないけど 傷つく感じが素敵」は当時としても高尚過ぎたし野村宏伸どころか永島敏行に似ていても結構モテる田舎の若者社会に片岡義男ワールドは敷居が高過ぎた。いずれは自分もそこに住めるとは夢々思えなかった。だが、主演カップルにしてもリゾートホテルで一日だけの夢を見ようとするだけなのだ。ウサギ小屋発の一点豪華主義に率直にリボンを飾った本作は今も充分に日常生活の役に立つのでは。キネマ旬報ベストテン第42位。

近年のジャックス市場は売り傾向に

7月7日、『ジャックス LIVE 15 JUN 1969』を聴く。69年のラジオ番組『みんなで歌おうフォークフォーク』に出演したジャックスのライブ音源。KBS京都の名物ディレクター、川村輝夫の自宅に眠っていた貴重な音源の初CD化。新宿ディスクユニオンの店頭で「8月にもまたライブが出ますんでよろしく」と言われる。以前『ロック画報』に次号はジャックス特集とはっきり告知されるもフタオを開けたらなぜか和田アキ子特集という珍事もあったが。近年のジャックス市場は売り傾向にあるよう。本作もマニアの間では放送当時の録音テープが出回っていたとか。そういえば80年代にはFMでスタジオライブなるものが頻繁に企画されていた。岡林信康の近作『森羅十二象』はいわばあの頃のスタジオライブと同じスタイルのものではないのかと今さら思う。本作に登場するジャックスは司会の北山修に初めて関西に紹介される東京のあまり知られていないエレキバンド。角田ひろを新ドラマーに迎え本田高介がビブラフォンとフルートを担当する編成になった時期でありこの年の8月にバンドは解散する。先の見えたバンドのさみしさはあると思えばあるような。早川義夫は著書『ラブ・ゼネレーション』(シンコーミュージック)の中で「僕は形はどうでもいい。一人でも二人でもエレキでも生でも形はどうでもいいと思うのだ」と記している。形はどうでもいいという逆説的なこだわりに私は後期ゆらゆら帝国を思い出す。今日的な音楽を求める聴衆を突き放すような下世話なアレンジや全く関係ない人物がメインボーカルで登場したりもうついていけないと思わせることが目的のような揺さ振り。69年にビブラフォンはロックに不似合いであり奥様向けのワイドショーの専属バンドのイメージが。本田高介は東京芸大生であることを共演者の高石ともやに曲の合い間に紹介される。坂本龍一が肉体的なダンスミュージックを追求した頃と同様にアカデミックな音楽家特有のナウ感覚だろうか。形はどうでもいいというのは自身が何かに破棄している有り様をそのまま見せてやろうという衝動では。代わりのいないメンバーが抜けた後に本当にそんなことやりたいんだろうかと疑ってしまう企画物路線に走るGSは当時山のように存在したが。ジャックスはGSではなかったと早川義夫が近年語る通り本作の中のジャックスにも一緒にされてはたまらないという空気を感ず。が、何と一緒にされたくないのかはバンドに問えば応えられたのかどうか。

酒豪で旅好きのフォーク歌手といえば

4月29日、友川カズキ 著『一人盆踊り』(ちくま文庫)を読む。本書はフォーク歌手の友川カズキが70年代半ばより書き残してきた身辺雑記に語り下ろしインタビューも併せて再構成した初の文庫本。50年生まれの著者は近年にも何作目かのドキュメント映画が公開されたように自身のキャラクターというか生活ぶりそのものが作品化しつつある。酒豪で旅好きのフォーク歌手といえば高田渡と重なる面もあるが友川カズキの場合そこに競輪と酔ったはずみの暴力も加わる。本書の冒頭に高校卒業後に就職先を半年で辞めて飯場に仕事を求め「雨の日等は朝から酒を呑み、花札をやり寂しく又明日のためにフトンにもぐった」毎日を送るうちに岡林信康の詩に出会ったくだりがある。『山谷ブルース』や『チューリップのアップリケ』を聴いて「その中に唄われた言葉は哀しいメロディーにのって一字一句俺の胸に深く入っていった」と語る著者は岡林信康の影響で自身も歌い始めたと認めつつ微妙に距離をとっているようでもある。逆にひょんな出会いから意気投合してしまったのがたこ八郎中上健次だとか。並の人間にはどうやって懐に入ろうものか見当もつかない怪人物とすんなり仲良くなれる著者も何やら常人離れした独自の物差しで他者との距離を計っているよう。画家としても活動する著者が本書のカバーデザインも手掛けた間村俊一の仕事場を訪ねた際のこと「帰り際クツを履きながら、やはりスケベの私である。間村さんに何歳になるんですか、と素頓狂でバカな質問をしてしまった。めったなことで他人のトシなんぞ訊くもんじゃない」と後悔する場面にもそれは感ず。本書の後半ではそんな著者が50代に入ってから海外公演に呼ばれ始めてからの悪戦苦闘ぶりがつづく。空港の入国審査で拒否され歌手であることを証明しようとその場でギターを出して歌おうとするもマネージャーに「かえって面倒なことになるので、やめてください!」と止められた話は可笑しい。「融通が利かない、ということは実に新鮮でしたね」と語る著者には唐十郎がかつて中原中也を論じた「悲しみの詩と生活を演じた恐ろしき一元論の病者、即ち彼は、自由のマゾヒストだ」と同じ横顔が重なる。40代半ばにアルコール依存から幻覚に襲われ「死神」と対面してもまだ呑み続ける著者は酒に苛め抜かれる自分自身の観客もあるよう。「この期に及んで、あと十年くらいは生きたいなと思ってるんで、ひとつ宜しくお願いします、ということで」などとうそぶく著者は今が旬の最重要文化財である。

人民服は入手困難でもハイソックスを

4月24日、『P-TRICK PLAN』P-MODEL(ワーナーミュージック・ジャパン・イヤーズ)を聴く。本作はP-MODELが79年に発表したデビューアルバムから80年のセカンド、81年のサードと計3枚から「コンセプトアルバムではなく名曲集といった性質」で選曲されたベスト盤。アグレッシブにぐいぐい聴かせる初期のナンバーが続くこれぞP-MODELといった切り口は近年封印されていたような。アニソンの大家となった平沢進にはこの頃の活動は気持ち黒歴史に属するのかと。人民服は入手困難でもハイソックスを両腕にかぶせるテクノ着はすぐマネできるため小中学生にも支持されていたP-MODEL的センスとは何だったのか。平沢進P-MODEL以前に活動していたのはマンドレイクというプログレバンドだという。片面1曲みっちり聴かせるような演奏スタイルが時代遅れになり曲は短くなるも詞はメッセージ色が強く何よりはっきり聞きとれる。英語は生活圏内のわかりやすい洒落気のないものだけカタカナ発音で使う。洒落気やごまかしのない口跡で言いたいことをはっきり言う姿勢は当時のテクノ御三家のなかで最もパンクに近い。デビューシングル『美術館で会った人だろ』は美術館で見かけた人が「街で会うといつも知らんぷり」なことからストーカーにおよぶ内容だがテクノ・ニューウェーブが好きなだけでは相手にしてもらえない令嬢へのつのる想いの悲喜劇性が今の若者に理解できるだろうか。「あんたと仲よくしたいから 美術館に火をつけるよ」のくだりには平沢進のパンク精神が刻み込まれているよう。何にパンクするのかといえば洋楽枠にもフュージョン枠にも門前払いの自分たちの音楽の評価に対してではないか。『子供たちどうも』のなかの「昨日も今日も明日もここかしこで 当然の分け前の生を もろもろのウソがウソが 無関心と二重思考が」と吐き出される呪詛の言葉には当時雑誌の取材に出かける交通費もなかったというバンドの苦境が目に浮かぶ。が、『MOMO色トリック』の「ピンクは血の色 ピンクは血の色 そこから始めてみようじゃないか」では見せかけの豊かさでいいからそれをくれと要求しているように思う。既存のパンクバンドも口に出せないことをはっきり言える厚顔には破壊者というよりは回収業者のごとき負のオーラが初めからはった。このバンドの持つ笑えないユーモアの核心にようやく気付かされたような。

自分は稀なるこの商品をいち早く購入し

4月17日、根本敬 著『怪人無礼講ララバイ』(青林堂工藝舎)を読む。本作は88年の『怪人無礼講』をはじめ『サイドウ一代』『好色無頼』『タケオの世界』の4篇を90年に単行本化したものの改訂版。表題作の『怪人無礼講』は『QA』誌に連載時から低俗だと非難を浴びたというが当時の投書を紹介する番外企画の中の反根本派の推しは「マンガはしりあがり寿に限る」だったり「せいぜいエビスヨシカズまで。平口広美はダメよ」だったりする。賛根本派の意見には「根本敬のマンガは最高だ、宝島のうのけんといい勝負だ」などと今では貴重な証言も。やらせ半分としても前途多難なまんが道を本拠地の『ガロ』に求めた渾身作が『タケオの世界』である。新藤兼人監督作『第五福竜丸』(59年大映)とジョージ・ロイ・ヒル監督作『ガープの世界』(83年)を混ぜ合わせた本作は著者による精子三部作の第一弾。核実験に居合わせた船乗りの「ホルモン発射と同時にピカドン放射能浴びて」突然変異した一匹の精子がその姿のままこの世に生を受け人生の荒波に繰り出すという物語。女性同士の「夫婦」が顔のない父親を選び人工受精に頼るケースが現実化し劇映画にもなる昨今、『タケオの世界』はもうそれほどグロテスクに歪んだものでもないのかもしれない。根本作品は遠い未来には性差別のタブーにいち早く踏み込んだ教科書扱いを受けるのかもしれない。本作に解説文を寄せる呉智英が『はだしのゲン』を歴史の教科書扱いする若い読者に向けて本来はジャンクな見世物なのだと論じたように根本作品を本来の特殊漫画の立ち位置に戻せという運動が遠い未来に起きないとも限らない。「人類誕生の確立ってのは腕時計をバラバラに分解してコップの水ん中でかき回したら元通りになるってくらいの確立だってからよ」とビートたけしオールナイトニッポンで学んだ私にも生命の尊さとエロ本のチョイスは表裏一体である俗世間からはみ出したタケオ一家を支援してくれたのがスネ毛むき出しの昭和のゲイピープルだったのも必然的めぐり合わせか。されどそれらのシーンにも当時とくらべると格段に救いがありメルヘンチックに読み返せるのも時代の流れと言えようか。或いはどんな表現であれ特殊に限定された立ち位置にあっては石つぶてであり万民を包み込むことなど到底不可能ということか。それにしても私は『タケオの世界』を三十余年ぶりに読み返して少なからず感動してしまった自分に小さな誇りを持てなくもないのだ。自分はこの稀なる商品をいち早く購入し存分に楽しんでいたのだと。

時代設定は大凡昭和初期、大凡日本の

4月7日、テアトル新宿にて『きまじめ楽隊のぼんやり戦争』(20年 ビターズ・エンド)を観る。監督、池田暁。本作は海外の映画祭で評価の高い池田監督の初の一般劇場作品。時代設定は大凡昭和初期、大凡日本の内陸部に棲む兵隊の町というアバウトなもの。早朝から規則正しく兵舎に出勤し河原で正体不明の川向こうの敵軍に「午前は50発。午後は少し多めの80発」くらい威嚇射撃を繰り返せば一応軍人と認められ暮らしも立つ日常に多くの若者が充足している。か、どうかは皆仏頂面で語り口もからくり人形の様なためわからないのだが。少なくとも自殺や脱走が起きる程の混乱はない静かな兵隊の町である。登場人物がいずれも仏頂面で台詞も簡素な日常コントという点では本作に出演する竹中直人やきたろうが90年代初めに演じた深夜バラエティ『東京イエローページ』の流れをくんでいるともいえる。負傷した兵士が気を付けの姿勢で地面にうつ伏せて絶命する演出は『東京イエローページ』に何度も観た。俳優陣のなかできたろうだけが唯一微妙な感情的演技を許されているのは楽隊長役が意地悪でセクハラ好きという設定ゆえか。人形の様な無性格ぶりのままで意地悪さも表現するのは苦しい。イケメン俳優が汚れ役にヒートアップし過ぎた際のいたたまれなさに通じてしまいそうな。パンフの巻末にあるインタビューで池田監督は海外の映画祭にて「日本映画は登場人物の顔を見分けるのが難しい」と言われて個性というものを考えさせられたと語る。ならば総勢没個性の人形芝居調の演出にと開き直ったのではないか。思えば小津安二郎別役実も同じ様な視線を海外からの批評に感じてそれならゆっくり静かに話すからよく聞いてくれと半ばヒステリックにテンポを落として没個性的なからくり人形劇を演出したのではないか。76年生まれでまだ充分若い池田監督はこれから先も世界で勝負していく時間はたっぷりある。やけっぱちの開き直りが「ユニークで、とてもスペシャルだ」と好評を得る機会は今後もあるだろう。何より私個人にとって今ちょうど欲しかったゆるい刺激の笑いをタイミング良く提供してくれたのが国内では無名の若い「新人監督」だったことは嬉しい。同じテアトル新宿山下敦弘監督の『松ヶ根乱射事件』のラストシーンに生まれて初めて映画館の椅子からズリ落ちて笑い転げた思い出に続いて今はこれでいいというポンコツなりの充足感を届けてくれた快作である。まさに“夢のようでいて、リアリスティック”な105分は今だから手放せない常備薬といった感。

その理由は若者にはまだ「自分」が

2月14日、橋本治 著『いつまでも若いと思うなよ』(新潮新書)を読む。本書は作家の橋本治が2014年に『新潮45』に連載していた老いと病についてのエッセイ集。第三章「自分」という名の項にて若い頃は自慢ではなく何を着ても似合ったと語る著者だが。「ファッションという外見を見せるものだから『自分』がない人の方がいろんなものが似合う」その理由は著者にはまだ「自分」がないからだという。それで私が思い出したのがエレファントカシマシのデビュー当時の服装。丸井でもジーンズメイトでもなく個人経営のメンズ店で精一杯きめてる80年代終盤の若者像は妙に鮮烈だった。エレカシのあのスタイルこそまだ「自分」なんかないと潔く認めた青年の主張だったのでは。当時の私はこれからはボ・ガンボスのような恰好をしようかと古着のアロハに百均の麦ワラ帽と造花できめたつもりで地元商店街を一回りしたところで力尽きた。自分には似合わないと。著者によればエレカシ御用達のあの「背広」は青年の体から出る「アクを吸収する装置」だそう。中年になりつつある青年がそれを身に着ければ目立たないアクとやらは私を力尽きさせた照れと迷いによる心の廃棄物だったが。「いつまでも『お父さんは西友のポロシャツ着てサンダル履いてる』じゃダサイので」登場したのがユニクロでありこれを着ると皆若くなるのだが。「そういう意味で私は、ユニクロの服を『かなり思想性の強い服』だと思うのだが、いつの間にかなんの話をしているのか分からなくなってしまった」という著者は本書を執筆中も病気療養中である。もう少し元気が残っていればユニクロの思想性の強さについて説き明かしてくれたかも知れない。私が勝手に読み取ったことはユニクロのようなファストファッションの店に並ぶ服は高価なヴィンテージ物のフンイキだけはありながら価格はお手頃だという点。もう一点はフンイキだけで満足できる方はどうぞというアプローチ。入り口はリーズナブルで負担も少ない点に惹かれる向きを吸収する戦略こそ思想性が強いというならば現在それらは市場に溢れている。個々のファストイデオロギー商品にいちいち待ったをかけていては生活できないのが現状ではある。が、肝心なことは売る側も買う側も感性が老化していてただ面倒臭いからこんな物は義理で参列した式典の引出物とでも思って受け入れている点ではないのか。その際、互いの体から出ているはずのアクのような物は果たしていつ何が吸収してくれるものだろうかと。