近年のジャックス市場は売り傾向に

7月7日、『ジャックス LIVE 15 JUN 1969』を聴く。69年のラジオ番組『みんなで歌おうフォークフォーク』に出演したジャックスのライブ音源。KBS京都の名物ディレクター、川村輝夫の自宅に眠っていた貴重な音源の初CD化。新宿ディスクユニオンの店頭で「8月にもまたライブが出ますんでよろしく」と言われる。以前『ロック画報』に次号はジャックス特集とはっきり告知されるもフタオを開けたらなぜか和田アキ子特集という珍事もあったが。近年のジャックス市場は売り傾向にあるよう。本作もマニアの間では放送当時の録音テープが出回っていたとか。そういえば80年代にはFMでスタジオライブなるものが頻繁に企画されていた。岡林信康の近作『森羅十二象』はいわばあの頃のスタジオライブと同じスタイルのものではないのかと今さら思う。本作に登場するジャックスは司会の北山修に初めて関西に紹介される東京のあまり知られていないエレキバンド。角田ひろを新ドラマーに迎え本田高介がビブラフォンとフルートを担当する編成になった時期でありこの年の8月にバンドは解散する。先の見えたバンドのさみしさはあると思えばあるような。早川義夫は著書『ラブ・ゼネレーション』(シンコーミュージック)の中で「僕は形はどうでもいい。一人でも二人でもエレキでも生でも形はどうでもいいと思うのだ」と記している。形はどうでもいいという逆説的なこだわりに私は後期ゆらゆら帝国を思い出す。今日的な音楽を求める聴衆を突き放すような下世話なアレンジや全く関係ない人物がメインボーカルで登場したりもうついていけないと思わせることが目的のような揺さ振り。69年にビブラフォンはロックに不似合いであり奥様向けのワイドショーの専属バンドのイメージが。本田高介は東京芸大生であることを共演者の高石ともやに曲の合い間に紹介される。坂本龍一が肉体的なダンスミュージックを追求した頃と同様にアカデミックな音楽家特有のナウ感覚だろうか。形はどうでもいいというのは自身が何かに破棄している有り様をそのまま見せてやろうという衝動では。代わりのいないメンバーが抜けた後に本当にそんなことやりたいんだろうかと疑ってしまう企画物路線に走るGSは当時山のように存在したが。ジャックスはGSではなかったと早川義夫が近年語る通り本作の中のジャックスにも一緒にされてはたまらないという空気を感ず。が、何と一緒にされたくないのかはバンドに問えば応えられたのかどうか。