「東陽片岡」という筆名は夢のお告げ

11月14日、東陽片岡 著『ステテコ行進曲』(青林工藝舎)を読む。本作は漫画家、東陽片岡が06年から08年まで『週刊漫画サンデー』に連載していた作品を単行本化したもの。冒頭の『ワタシはそれが気になって仕方がなかったのまき』で作者は自身がオナニーやウンコなど排泄行為の際中に限って仕事の電話が入る妙な生活パターンを告白する。トイレの個室で用を足しながら商談する会社員が珍しくなくなったのがゼロ年代辺り。むかつく相手にそんな恰好で対話している自分に優越感を覚えたのだろうか。これが近年になるとリモート会議中にデスクの下では不倫の真最中などという態も日常化するのだが押し並べて70年代的だ。『初秋のいこいのひと時は心霊ナイトだったのまき』では「東陽片岡」という筆名は夢のお告げだったと作者は語る。夢の中に登場した遊女にモテモテの男が差し出した名刺に「東陽片岡」と記されていたのをいただいたとか。それ以前に名乗っていた「ジャック天野」では90年代を生き延びられたかどうか。東陽片岡はバイクとジャンクフードの好きなチーマー上がりの若者かと私は思い込んでいた。『悲しみに耐えるアナタは悲しかったのまき』では喫茶店の色っぽいウエイトレスをガン見しているオッサンをさらにガン見する作者。劇場の幕間にてAVで売れてる踊り娘が客電の下で全裸でオッサンと世間話を始める瞬間に私などは一番欲情する。アラーキーの写真術と同じ効果だろうか。色っぽい女性には刺身のツマのようにいやらしいオッサンが写り込んでこそ官能を呼ぶよう。本作を描いていた頃はすでに50代に突入しようとしていた作者だが。いずれはスナックでも経営したいという当初の夢は最近実現したと雑誌のコラムで読んだ。が、毎日ヒマな老人の交流の場になればと始めた店は凶暴な老人同士の階級闘争の場と化してあえなく閉店したそう。そういう老人をまとめきれない作者は案外ハイソなイケオジなのかとも。『静かなおカフェは貧乏人のオアシスだったのまき』では実はスタバの大ファンでもあることを正直に告白。「てめーの漫画の主人公を社長にしたり勲章もらって喜んでる漫画家と同じだな」と自己批判しつつも好きなものは好きと言っておきたいよう。70年代のボーナストラックの様な90年代に盛りのついた不良少年の顔で登場した作者はそもそも物の考え方がイケオジなのではないか。60代になっても70代になっても公園で高校生とカップ酒で乾杯してそうな東陽片岡にしゃちこばった漫画賞など似合わないのである。

勝新太郎と同じ65才で死去した著者の

7月30日、宮沢章夫 著『長くなるのでまたにする。』(幻冬舎文庫)を読む。本書は劇作家の宮沢章夫が15年に発表したエッセイ集を文庫化したもの。著者は昨年の9月に亡くなったが本書は追悼企画ではなくトミヤマユキコの解説も著者の精力的な仕事ぶりを身近で観察し賞賛している。勝新太郎と同じ65才で死去した著者の生きざま(という表現は不似合いだが)はどこか勝新にも通じるものが。自分にしかできない仕事をやり続けてすっかり消費される前に舞台を去った後ろ姿が。演劇もやっていれば大学で教えてもいる合間に書かれたエッセイはいつも切羽詰まって発信されながらもちゃんと面白い。そのドタバタぶりに読者の方も乗せられていたというのか演出家でもある著者に演出されていたよう。その読者から編集部宛に届いた「恋愛相談」に著者が嫌々応える章は晩年に担当していたラジオ番組を思い出す。その番組にも時折突拍子もない「恋愛相談」が届き泡を食った著者が知るかばかものなどと応える場面がおかしかった。が、別に著者が男女のことに格別スマートな紳士というわけでもない。気になるコンビニの女店員にしつこくつきまとわずシフトを知りたいという相談にトイレの清掃当番表に彼女の印が押してある日が出勤日だと教えた途端にその日の放送は空気がどんよりとなった。相当な「反響」があったと思われる。「アキオの小説にはエロがない」と父親から助言され思案する著者だが。90年代に流行った演劇少女ではないエロチックな少女たちの舞台にナウ好きの著者も本気で参入していたら演劇人としては消費されてしまったかも。原宿の真ん中で公演してもださい演劇ファンが堂々と観に行けるバランス感覚が著者の作風にはあった。逆にオシャレ人種が別役実に注目したりする椿事も起こしたし。その著者が東京に三十年以上住んでも行ったことがなかった町が錦糸町というのが興味深い。ナウ好きのアカデミシャンでさえ足を踏み入れにくかった町、錦糸町。バブル期にアメカジに対抗して錦カジなどと称されたファッションがあったが。どんなファッションかと問われたら私にはすぐわかる。ノンブランドの一応はスーツに見える上着の袖をまくりコンバースで疾走していたあの頃。洗練なんかされてたまるかよといった気概をそれが仕事になるまで気づいていなかった。が、十人並みに今風でいられたらそれで満足だった自分もまた愚かしい。宮沢章夫はやはり敵でも味方でもなかった。

見たっていい。夢ぐらい見たって。

7月29日、『午前中の時間割り』(72年 ATG)をDVDで観る。監督、羽仁進。“『初恋・地獄篇』の鬼才、羽仁進 監督が放つ、珠玉の青春映画” である本作は一般向きには失敗作として知られる。本作のようなATG作品を公民館などで無料で観られる上映会が80年代後半まで盛んで私もよく出かけた。当時日曜の夕刻になると70年代の青春映画ばかりがテレビ放映されていた。40年前は無料でお手軽に観られたものが今は有料というのはおかしいのか当たり前なのか。本作は十七歳の少女二人が海辺の田舎町に旅に出た様子を8ミリカメラに撮り、一人の少女はそのフィルムを置き土産に入水自殺してしまったので残された映像を共通の男友達と観るという構成。当時の家庭用8ミリと劇映画の画像にそれほど違いはないので8ミリの中の時間と外の時間の枠も次第にぼやけてくる。自殺してしまう少女、草子を演じる国木田アコは8ミリの中で大胆なヌードを披露する。もう一人の少女玲子を演じるシャウ・スー・メイもセミヌードになる。男友達の下村はヌードはもちろん一体誰がカメラを回しているのかという疑問に震える。あれは自撮りだと説明する玲子だがやはりカメラマンを引き受けた男はいた。旅で知り合った沖というその男は自衛隊にいた頃に物資を持ち逃げした罪で追われているらしい。自由を求める旅の途中にだった二人は廃船に寝泊まりする沖が本物の自由人のように見えて憧れてしまったのだが。実はしがない郵便局員でもあった沖に失望する玲子は果たして草子はどうだったのだろうと思う。海に身を投げる直前まで沖と近しくしていた草子もまたその素顔に失望したのかどうか。草子役の国木田アコは少し前ならつみきみほ、割と最近なら市川美日子のような不思議少女。どっちも結構おばさんだろうと思う世代にとっての国木田アコはおばあさんの若い頃か。当時のATG作品を入場料を払って観た男子には理想の女友達だったろう。今は不思議少女市場自体があまりかんばしくない。生白く貧弱ながらも眼光鋭い不思議少女。知的かつセクシーな。そういうのもう流行らないんだよと私にはとても言えない。不思議ちゃん感度のすっかり低下してしまった自分の責任である。それはどうも個人の甲斐性みたいなものと関係あるような気がするがそんなこと70年代から当たり前なのか。不思議少女の奇妙な言動に恋焦がれていられるのはにわか自由人程度の経済力があってこそなのか。現在は如何に。ワーキングプアは不思議少女の夢を見るか。見たっていい。夢ぐらい見たって。

そもそも俺の家だということなのか

7月27日、南正人の『南正人ファースト』(73年 ベルウッド)を聴く。本作は南正人が八王子市美山町の自宅にキャラメル・ママを招いて録音された元祖宅録盤。現在、古民家をリフォームしてカフェや洋品店にしたりするセンスのはしりかも。そんなセンスの店のBGMには最適でも実際はヒッピー仲間が集まるせいで溢れ返った汲み取り式便所の臭いにあえぎつつ生まれた本作かもしれず。70年代を語る際、交通の便とトイレ事情の苦難が忘れられているよう。『午前4時10分前』の「ヘヘイヘェーイ」とあえてカタカナ表記された詞はまんが日本昔ばなしの世界だが。『紫陽花』の「かえりみちなど はじめからなひのに あるとおもひたくぅ」になると何を言ってるのかわからない仙人といった感。いいんだよ、わかる範囲で気楽に聴いてくれれば結構だと。そもそも俺の家だということなのか。本作の目玉ともいえるりりィとのデュエット曲『ブギ』。八王子まで遊びに来たりりィがついでにレコーディングに参加したというのは当時のかっこいいエピソードなのだろう。ラジオなどの生本番中に近くを通ったお友だちタレント飛び入り参加したりするのが70年代は喜ばれた。が、『ズームイン‼ 朝!』辺りから告知がらみになっていやらしく感じるように。本作のいかにも柄の悪いヒッピー然としたボーカル様式はどこかで聴いたと思えば「大島渚」でのみうらじゅんではないか。『いか天』出演時には裸のラリーズみたいだと審査員に絶賛され司会の三宅裕司には番組を盛り上げるためだけに出てくれたと歓迎された「大島渚」だが。私には時代のページがめくられる寸前に繰り広げられた旧世代による実力行使に思えた。80年代の終わりより70年代の初めの方がずっと面白かったんだぞという「大島渚」のアピールに賛同できた私には当時ライブハウスの床がトランポリン状にしなると狂喜する同世代が恐ろしかったが。本作を評する「アーシーなサウンド」とは何だろう。「土着的な」ということか。「自然」そのものでありこちらから呆きたり拒んだりできないものだろうか。今年のハイドパークで聴いた「日本のロック」は50年経っても同じ様に味わい深いものだったが。重要なのはあれが野外で演奏されていたことだろう。本作の始まりと終わりにも南正人の自宅の庭先にて鳥たちの鳴き声が効果音以上の絶妙な間と距離感で演奏に参加する。急な悪天候も小競り合いも腹下しも含めてのライブ体験だった時代には目立たなかった自家製喫茶ロック。

一度は自分を受け入れたはずの世間に

7月25日、丸尾末広 著『アン・ガラ』(KADOKAWA)を読む。本書は漫画家、丸尾末広が『月刊コミックビーム』に21年から23年まで発表した連作の単行本。60年代後半の東京で暮らす十九歳のミゲルとサチコ。ミゲルは漫画家を目指して『ガロ』に原稿を持ち込む。採用されて下宿で二人踊り狂う場面は蛭子能収の同様なエピソードを思い出す。長崎から上京してまず感動したのが東京の味噌ラーメンという体験も蛭子さんと一緒。著者にとっては同郷で何の伝も無く成功した漫画家のお手本のような人物だったのか。『ガロ』に採用されたらもう大丈夫と思いきや後日発売された最新号にミゲルのデビュー作は載っていない。編集部に確かめると載せるとは言ってないという。それ以前にもミゲルは有名プロのアシスタントに採用されたつもりでいたのに断ったはずと追い返されている。一度は自分を受け入れたはずの世間に裏切られたという妄想がふくらみ爆発するまでを描いた本作の背景には京アニ放火事件の犯人像もあるのかもしれない。一人勝手な劇場犯罪者の末路ということなら本作には連続射殺魔の永山則夫がミゲルの同級生として登場する。付き合いにくいひねくれもんと思っていた永山が逮捕されると「誰にも見向きもされなかった奴が一夜にしてスターに!」とミゲルはおののくが。永山則夫が「時代のルサンチマンの継子」だった頃の輝きを私はほんの少しなら覚えている。高田渡が取り上げた詩作などを通じてほんの少しなら。中々のものだと感心したが。近年の劇場犯罪者の作品に興味は無いし漫画を描いていたからといってすぐに発表させるメディアには不信感も。後始末ばかりが事例化する様がどうにもやりきれないのだ。本作に登場する新宿東口ロータリーの名物男、新宿土竜男は局部を露出した浮浪者でアングラ劇団の街頭劇に乱入して役者より気味悪がられる。「アングラだの前衛だの浮浪者に負けてるじゃん」とミゲルは思う。私も最近同じ場所で路肩に尻を出して用を足す浮浪者が便所ならそこにあるだろうと仲間にこずかれている姿に甚く時の流れを感じた。その男が丹古母鬼馬二にそっくりだったのが尚更こたえたというのか。加藤登紀子のように大学キャンパスがいつのまにかオシャレで清潔になったらそうなるまでのことを考えなければいけないとは思う。だが、ニーチェって俺と考え方が似てるんですよなどと言いだす昨今の大学生と新宿土竜男とでは一体どちらが付き合いにくいのだろうか。

昔はそんなものだったという史実は

5月16日、橋本治 著『その未来はどうなの?』(集英社新書)を読む。本書は作家、橋本治が2010年の秋に病に倒れながら「自分の体をなんとかするのは自分だけだ」という信念から書き続けた渾身のエッセイ。冒頭の『テレビの未来はどうなの?』の章で「テレビは直接民主主義で成り立っていると言ってよろしかろうと思います」と著者は云う。テレビでやるなそんなものと私が思うそんなものとは誰の思うそれとも同じだろう。今はアウトでも昔はセーフだったそれもいい年になればおぼえている。日曜の昼下がりに生きた蛇の頭を食いちぎる奇人変人を家族で楽しんでいたのも昔の話だが。昔はそんなものだったという史実は封印されていいのだろうか。昔があって今があるんじゃないのかと私は思う。『テレビ探偵団』のような企画を放送できない場面は法廷イラストや実況をはさんでも復活させてほしい。『ドラマの未来はどうなの?』の章では「もしあなたが『最近おもしろいドラマってないな』と思っているのだとしたら、ドラマの中に『生きることへの指針』を求めている可能性大ですが」と著者は云う。90年代後半、超カッコいい先生がダサイ大人たちを秒殺で仕置きしてくれる学園ドラマが流行したが意外に悪影響はなかったよう。何の代償もないところでただ暴れても空しいだけという指針を得て成長した若者は多かったのか。『男の未来と女の未来はどうなの?』の章で美人の定義を語る著者の「見てくれは美人なのに、あまりにも愚かなので気味が悪くなる」という表現に共感す。思春期以降の私は「結構な美人なのに結構な不良」にアレルギーなのだ。結構美人で結構不良、それは今時の在野アイドルの主流ではないのか。ならば自分はもう若者と話が合わないというだけのことか。愚かな美人が気味悪いという感覚を正直に口に出すと顰蹙を買う時代もやがて来るのかも。著者はさらに「私が美人であっちゃいけないの?」と女から言われて「いけない」と言わない男の「やさしさ」についても語る。男の「やさしさ」は今やエチケット化しているよう。美人のグループに必死でぶら下がる不美人を指差してバカにするようなことを今の男は冗談でもしなくなった。それは本当に「やさしさ」なのかという問いも内包しつつしなくなった。多分それも男自身のための努力であろう。時に自分が嫌になるというやつだ。が、嫌になった自分を切り捨てるというその努力はひたむきな不美人に捧げられたものであったかどうか。

今年もやむにやまれず歌ってしまった

4月29日、狭山稲荷山公園にてハイドパーク・ミュージック・フェスティバル 2023を観る。06年以来17年ぶりに再開されたフェスの1日目は天気も入りも上々。正午過ぎに登場したサニーデイ・サービスはいい時間に思いきりやれている様子。新メンバーの大工原幹雄のドラムは圧巻だったが後に登場するトノバンズの上原ユカリ裕のプレイを観るとキャリアのあるドラマーの方が圧はなくとも響く技量を身につけているよう。もちろん今は思いきりやりたいようにやればいいのだが。長髪から坊ちゃん刈りに様変わりした曽我部恵一はほとんどパンクだったというデビュー以前のサニーデイを再構築したいのか。満足に弾けない楽器をステージで叩き壊すのと匠になっても叩き壊すのとはインプレッションが違う。ともかく今はこれでいいのだという気迫を感じた。続くパスカルズは真逆の脱力ぶり。総勢13人の大所帯ながら主宰者のロケット・マツは幽霊アパートの無責任な管理人といっった佇まい。弦楽奏とホーンとピアニカと珍妙な手作り楽器による「独自なサウンド」は海外で人気というのはわかる気が。国内でやるとエコロジーとか誰も置いていかない社会づくりとか文化財団的な受け皿しか用意されないのでは。最近は映画音楽も手がけるというパスカルズのようなバンドこそNHKの朝ドラの主題歌を担当してほしいと夢想するもそれは「普通」じゃないかとも。海のものとも山のものとも判断しかねる音楽性の立ち位置はむずかしいのだが。似たようなことを散々言われているうちにスポットライトをすり抜けていったたまのメンバーが二人もいるのだった。午後三時になりトノバンズ。加藤和彦なら拒否しただろう追悼ライブがきたやまおさむの「もういいだろう」という鶴の一声で断行された。『あの素晴らしい愛をもう一度』を06年に合唱した時もトノバンの複雑そうな表情に気づいても歌わずにいられなかった。今年もやむにやまれず歌ってしまったが。常に最先端のことしかやりたくないし懐メロ歌手なんてまっぴらというトノバンの遺志をまったく継がないトリビュートにこの日一番感動した。きたやまおさむにしてみればケンカ別れに終わったはしだのりひこに一切触れずに自身にとっては次世代の坂崎幸之助佐野史郎に清々しくバトンを渡すのはヒーローショーの悪役を意識した「演技」なのかもしれない。が、今日は自分がメフィストになっても届けたいものがあればこそだとしたら。トノバンにしてみればもう金輪際盟友でも弟子でもないトノバンズのファンになるのは私の勝手。