一に健康、二に山崎ハコである

 「差し当たってスナップショット写真に雑文を添えたものを発表したいね」と私はエイチに自身のプランをはなしてみる。
 ホームページなのだから自分の嫁子供や大切な猫ちゃんたちの元気にはしゃぐ姿と近況報告でも適当に綴ればよいのだが、私には嫁子供もペットの類も存在しないので仕方がない。
 「なるほど、お前の好きなアラーキー藤原新也みたいにな」
とエイチはあっさり納得してくれたので私もつい嬉しくなり、
「そうじゃ、藤原新也じゃ。ひとり藤原新也じゃ!」
と畳を叩いて語気荒げるのだが、これにはエイチもキョトンとした様子で
「ひとり藤原新也って藤原新也は始めから一人じゃないのか」
とぼやく。エイチには私の言わんとするところが伝わっていないんである。がともかくこのページの基本コンセプトはひとり藤原新也という事に決定である。
 これより一年余り続くであろう私の私なりのひとくちサイズのみみっちいたびの中で果たしてどんな出逢いが待ち受けているのだろう。んな物ちっとも興味沸かないがなあ、と今偶然この文章に蹴つまづいてしまった通りすがりの読者諸兄も、いずれは病み付きになるようなかめばかむ程味の出る天然ドラッギーなコンテンツ作りを目指したい所である。

 ミュー音楽出版よりリリースされた「飛びます……17歳 山崎ハコ」の内容はデビュー間もない頃の音源計四曲に当時のポートレートを付けた物だがこれが何と言うか、過去からの血気盛んな近況報告といったホットな贈り物なのである。ハコファンの私には。と、書きたい所だが恐らく今作は70年代のあの山崎ハコも、90年代初頭に突如としてふれあいホールのパティ・スミス然とロックしてまたすぐどっかいっちゃったHAKOも知らない世代への軽いジャブと思われる。 そうした若い世代が昨今愛聴するUAやCoccoの源流が山崎ハコであり森田童子であれば、ここらでハコという恐竜の尻尾位は今の若者達に様子見で握らせてみてはどうか。その様な想いが私にはひしひしと伝わる一枚である。無論伝えてくれたのはハコを支える制作サイドの人々で山崎ハコが今再び思いっきり歌いたいのかは定かでない。暗い暗いと馬鹿にされ、頭に来て姿を消したという80年代の様に、伝説のフォーク歌手なんてイッセー尾形のネタじゃあるまいしと今後の展開に一番難色を示しているのがハコ自身という事も考えられる。それにしても山崎ハコという人はいつでも下手な病人より不健康で勝気である。