二十年来あきらめの夏である

 熊谷の夏も知らずに何を言うかと怒られそうだが、夏はひたすら我慢の季節である。金もヒマも冷房も無いジリ貧生活者の夏はただひたすら我慢なのである。それでも過去にはもう少し甘酸っぱい夏の思い出の一つや二つあったかも知れない。が、暑さのせいで思い出せないし、思い出したところで逆にブルーにこんがらがってしまいそうだ。それでも我慢ついでに無理に思い出すとあまり良い思い出は無い。  十代半ば頃にガールフレンドと一緒に観た映画は「愛と追憶の日々」だった。タイトルが何となく思い出せただけで内容はほとんど覚えてない。追憶したくない。実はその映画をビデオで観ながら当時のガールフレンドとの甘酸っぱい夏の思い出を勝手に美化してみようかと思ったのだが。余りにもむなしいので中止。大体が彼女とは五月にファーストデイトを大宮公園で敢行して夏まで続かなかったのである。

原因は私である。前川清が最初の結婚について語るところの「男が弱かったんですよ」に通ずるのである。どう弱かったか。私の前に彼女と交際していた別の男が、お前達がどこまで行ってるかしらないが自分と彼女はとここには書けないようなことを私に吹き込んだのである。今の私なら胸にしまっていられたろうがティーンの私は弱かったんである。一人でウジウジしてるだけでは耐え切れず事の次第を彼女に話してしまったのである。話してどうすると今は自分に呆れている。多分自分の前に交際していた男とは結構なところまでいっているのに、自分とは大宮公園か大宮ハタボウルぐらいしか行ってない彼女を責めていたのだ。京浜東北線のホームに続く暗い階段で彼女がヒールの足を滑らせ転びもう駄目だと泣きそうになった時には既に手遅れだったのだ。私と彼女は友達に戻ることになった。余計な事を口走らなければもっと甘酸っぱい思い出を作れたものを勿体無い話。とも言いにくいんである。友達に戻った私は彼女の結婚式に呼ばれノコノコ出かけていったんである。私はよくノコノコ出かけて行く男で似たようなエピソードは他にもある。フラれた相手のゴールインを作り笑顔で見送る私も私だが見送らせる彼女もいいタマである。

 で、そんな塩辛い思い出ばかり何故今頃持ち出すのか。どうも八代夏子だのタムリン・トミタだの当時のその彼女の面影に今も振り回されて間抜けにもニヤついている自分に気付いたからである。彼女にはもう高校生くらいにはなる子供がいるはずなのにである。ダスティン・ホフマンになれなかったどころではないだろう。阿呆は歳をとらない。とらないがそれだけである。心のドアをノックされてもいないのに返事だけしてしまったではないかオーウ順子。私の順子は純子である。純子は私の純子ではないが。