ショーヤンと肩を叩けそうである

 最近文庫化された宮沢章夫のコラム集の中で一番面白かった「友人」とはなにか?というタイトルの項は必読。もう20年近くも連絡をとってない学生時代の親友から著者の元へ電話が来る。一応は友好的に応対し世間話や昔話に調子を合わせている。しばらくして実は今日電話したのはとやっと用件を相手が切り出してくる。用件とは学生時代に同様に親しくしていた女友達が急死したと噂に聞いたのでお前なら何か知ってるかと思ってというものだった。何も知らないけど彼女の実家に問い合わせてみたらと提案してみたところ、相手は一方的に自己劇化を始める。音楽仲間だった彼女の為に霊前でギターの弾き語りを決行するだの、同級生を皆集めて偲ぶ会を開こう、彼女の生演奏テープが手元にあるからそれを皆で聴こうなどと本気で言い出す。20年前の学生時代ならいざ知らず、今になっていい年の大人がそんなと弱り果てながらも笑いをこらえている著者のスタンスが良い。で、これは多分宮沢章夫の身辺に実際起きた笑い話なのだろう。

 大林宣彦監督の新作「なごり雪」は正にそのシチュエーションそのままの歌謡ドラマなのである。三浦友和演じる主人公の中年サラリーマンは孤独である。子供も作らぬまま28年連れ添った女房が家を出て行った。追いかける気にもなれず仕事に野心もそう残っていないしなあと冗談半分に遺書など書き出す。と、その時電話が届く。相手は28年ぶりに会話する故郷、大分県臼杵市の旧友だった人物。演じるのはベンガルという輪をかけた脱力感。で、何よと初めははっきりと迷惑そうに問い返す主人公にいや迷惑だとは思ったけど女房がバイク事故で昏睡状態でと事情を説明する元親友。だから何よと電話を切る訳にもいかぬ背景もあるにはある。

 28年前に故郷を捨てた主人公と元親友とその妻とは微妙な三角関係にあったのだ。つまり主人公が故郷を捨てる際についでに捨てた恋人未満のその女性と慰め役にまわった元親友は後に夫婦となったのである。山田洋次の「友情」と同様の時の流れのいたずらなんである。が、こちらは元親友がそうして昔ちょっとあった相手と夫婦になっていても主人公は全く動じない。仏頂面。で、何よと内心迷惑がっている。だがこっちだって忙しいんだと言える程の心境でも今はない。良くわかんないけど仕方ねえかと28年ぶりに帰郷する。待っていた元親友(ベンガルだけど)は女房の奴は貴方に逢いたがってやしないかと思ってねと入院先に招く。ベッドの上にはミイラのようにされ人工呼吸によって今や虫の息のその女性が。はっきり言って俺にどうしろとブチ切れたくもなる状況だがブチ切れるにはお互い年を食い過ぎた。元親友も主人公を困らすつもりもなく自分でも何をしようとしているのかわからない。ただ、瀕死の妻の為に何かできる事はと考えあぐねた末の行動だ。妻が大切にしていたアルバムからは貴方の写真が切り捨てられている。心残りだったんだよ、今でも貴方に恋しているんだよ、何か言ってやってよと言われてもなあと弱り果てる主人公。

 こうした異常っちゃ異常な中年親父の心情バトルに青春期の二人の童景がインサートされていく。大林作品ではまさかと思うような清純派王道女優がいともあっさりオールヌードになる特典が嬉しい。今作では宝生舞である。青春期の回想シーンだ。若き主人公と元親友が女友達と海水浴に、脱衣場が迷路のように複雑でついうっかり女子用のドアを主人公が開けてしまう。と、モロ乳の宝生があんたならいいわ、どうキレイ?などと威風堂々と主人公を迎えるのだ。親父の感傷劇について行けない若年層の観客もここでターボ全開。私もここ数週の「週刊現代」、「週間ポスト」から目が離せないと思った。

そして元親友の妻はやはり助からず主人公も最後までバツが悪いまま再び故郷を去るしかない。「俺どうすりゃいいのかな、これから」とベソをかく元親友に、知るかよ俺だって女房に逃げられたんだと最低のケンカにはならず想い出の駅で別れる二人。で、やはり歌謡ドラマなんで余りにも有名な歌詞の一節一節が肝心な台詞に使われていく。それが大上段に決められ過ぎて観客としては少々とまどう。カラオケビデオの濡れ場に直面した時のように。演出だからドラマだからと言い聞かせてもついとまどう。何をとまどってんの泣けばァ、いいよ泣けば、泣いてみりゃいいじゃん。などとベンガルよりはせめてでんでんに肩を抱かれて味わいたいおセンチな季節にピッタリの一品。ぜひ。ぜひこの時期に「宝生舞写真集」を。カバーデザインは「旅行読売」みたいんでいいのよ。そのほうがいいのよ、俺好きよ実景。で、中味も実景。カメラ宝生舞。定価四千八百円。