去年の今頃の事なんだよーんである

 私の書き物を定期的にのぞき見してくれている現在30名弱のふざけた方々について思いをめぐらせてみる。その大部分が永ちゃんのライブ会場に集まるようないい女などとはゆめゆめ思わない。むしろその逆だろう。泉谷しげるのライブ会場に集まるようなイヤな男連中というのが私の推測である。

 それはそれで良いとして折角そうした嫌われ者の皆様に愛でてもらっている以上何かお返しがしたい。ひとつ、失恋の苦しみから立ち直る方法を私から伝授したい。今現在失恋してないと言ってもどうせすぐフラれると思う。インターネットがあれば世界中の未来ある若者と随時文通ができる時代にこんなものをわざわざ拾い読んでいる時点でダメ。救いようがない。今現在恋愛もしてないと言ってもどうせすぐ手前ェ勝手な恋に落ちると思う。で、フラれると。失恋すると。失恋の苦しみからは一日も早く立ち直って欲しい。失恋保険も失恋手当もこの社会には無い。人知れず努力して元の元気な体に戻ってケロッとしてなければいけないのである。表面的な回復には数ヶ月、完治には一年と考えてもらいたい。で、その間をより心凍らせず過ごす方法を私から教えようか。私自身この方法で過去幾度もの失恋の苦しみから這いつくばって、這いつくばって今日があるのである。

 ではまず日記をつけ始めることを勧める。何も手につかない、本もレコードにすら触れたくないという気持ちはわかるが日記はつけろ。つけろと言うのだ。単に気持ちの在り様を一言書くだけでもいい。○月○日、まだとてもツライ、くらいでもいい。それを続けるのだ。自己劇化に走らずにいられぬ者は走っても良いが日記にはその姿を在りのまま書く事。○月○日一人で海を見に行き夜明けまで流木に腰をおろしてオカリナを吹く。下痢。とか全て在りのまま書く事。それらをまとめて読み返すうちに少しづつ平常心を取り戻している自分に気付くはずである。次に消耗品を全てサラに買い替える事。シャンプー、石けん、ライター等々目に見えて減っていく物の減り方を常日頃気にしておくのだ。これがまだサラの時は食欲すら無かったのに今は三食しっかり食ってる。おやつも食ってる。ボムも買ってるいい年してなどと色々発見があるのだ。次に大切な事はムサイ男同志つるまないこと。わが良き友とはこの時期距離を置くべきである。話したい事があるから一杯付き合えなどと安易に友人を巻き込むものではない。なぜいけないかは周囲の同性を見渡してみよう。フラれるとすかさず寄りかかってきそうな同性とそうではなさ気な同性がいる。人知れず壊れかけた胸の内を自力で回復させる人物とその逆の人物とではどちらに学びたいか考えてみよう。しかし野郎同志フラれてヤケ酒というのも最近では貴重かもしれない。今一番ヤケになってそうなドリカムの元メンバーと酒を交わしてみたい気もする。「氷雨」歌ってボロ泣きの果てに駅前ロータリーの噴水で泳ぐくらいの無茶はまだまだできそうである。

 さて、これまで書いた事を参考に日々暮らせば失恋の苦しみとやらも幾分軽くなるはずである。お試しあれ。試すも何もフラれてないし恋愛してないしという向きには恋愛して失恋せいと言いたい。こんな事を書くと私が失恋したのかと思う向きもあろうがそうではない。その逆である。良い意味でも悪い意味でも女を捨てたような女。そんな女による女難続きの人生なんである。で、そういう女しか近寄らぬキテレツな星の下に生まれた男であれば仕方ない。女を捨てたような女の中からベターな女を選ぶしかない。私は今回ココリコ田中と久本雅美のマジ恋報道に正直胸を打たれたのである。自らの運命の歯車の中に全裸で飛び込み骨も折れよと、ええいままよと絶唱する田中の姿にもらい泣きしたのである。脚本家として。「みんなのいえ」の成人映画版を書き上げてココリコ田中に贈りたい。そう今は思っている。俺は今モーレツに感動している。