日が暮れた以上おうちに帰るんである

 家主のエイチの最近の爆弾発言。「オレ高田渡みたいになりたくて」。フォーク歌手の高田渡はフォークの神様と呼ばれた昔から現在も活動中である。最近ではBSの旅番組などでレポーターの仕事もこなしているそうだ。しかしそのBS放送を当の高田渡は観る事ができない。BS受信機が家に無いのだ。高田渡の家の家電を今以上グレードアップさせると高田家の電力はストップする。BSやパソコンなどの中流家庭にマストな家電は持ち込めないのだ。そういうところがいかにも神様してて素敵じゃないかとエイチは思っているようだ。一人暮らしの経験が無いせいか昔から貧乏にあこがれているようなフシがあるのだエイチには。一番ひどい時にはそばのだし汁だけでくいつないでたさなどと私が話すと目をキラキラさせている。高田渡のプアフォークな世界に今頃とろけている三十男エイチ。私も早くとろけてみたいと願う。プアフォークな詩世界にどっぷり漬かれるのは中流の証しではないか。小さな石けんがカタカタなったらそれだけでジンときちゃう人々には家風呂があるじゃないか。私は早く浴剤にハマってみたいのである。銭湯通いでそれをやったらゲリラ行為じゃないか。

 ところで高田渡の話に戻るが、高田渡に今でもレポーターの仕事を薦めたりするBSの企画者たちは多分神様時代からの旧友なのではないか。当時はアーティストと局の使い走りとして出逢って飲み歩いていた仲なのではと思う。年月が経ってパシリはやがてディレクターとなりプロデューサーとなり神様は神様のまま。おう神様、相変わらずで。もしヒマなら今度ウチの番組に出てくれないかみたいな誘いがあったのだろう。神様の心中複雑かと思われる。出世払いで酒をふるまっていた使い走りが本当に出世して仕事をもってきてくれたのだから。その番組を私は観る事ができないというのは神様の小さな反抗かと思われる。それも含めて歌なんである。ステージ上でピロピロとチューニングしつつ誰にともなくボヤく枕話からもう歌のあの歌には本当気をつけないと一生を台無しにしてしまうだろう。本人はいいよ一生神様だから。じゃリクエスト。「コーヒーブルース」。おやすみなさい。