当分ざわざわ言わせそうである

 98年のクリスマスにオープンしていたらしいシネマ下北沢に初参。足を運んでみれば何の事ないスズナリの一角を改築したミニシアターであった。同じ広さと空気のあった小屋が以前に恵比寿のセコハン玩具店の奥にあった。私とエイチが出演した8ミリ映画もその店で一晩上映させてもらったことがある。私は出演の他にもギリも担当したが一枚の切符ももぎれず終いであった。シネマ下北沢も平日の昼はなかなか静かなものである。私が来場した際に先客は一人。上映開始になっても客数は増えず三名ばかり。なんとなく気まずくなってカフェでコーラを。勿論カフェもドひまだったがその分リラックスできた。映画はグループサウンズと1968と題された特集である。本日はパープル・シャドウズ「小さなスナック」とヴィレッジ・シンガーズの「思い出の指輪」であった。68年の松竹映画であるから私は2才であった。若かった。若すぎたと言える。しかし私がスクリーンの中の若き藤岡弘やスパイダースを憶えているような気がするのは何故か。

 記憶に関する研究書などに目を通したこともないがこの事は不思議である。ものごころと呼ばれる意識が芽生える以前の段階でも人間は実にいろいろなことを覚え始めているのかもしれない。モノクロ写真として残っていた生家の家具の色を言い当てて母親をびっくりさせたことがあった。その写真の中の私は乳幼児だったのだが。生きてさえいればなんだって記憶思考してしまうのが人間なのかもしれない。学生デモは覚えてないが通学路の途中に建つ何かやってるプレハブ小屋は覚えている。何かやってる感じの建物が68年には生活の中に隣在していた。ゴールデンタイムのバラエティー番組のCMに「警視庁からのお願いです」などと極左暴力対策に関する広報が流れてもそれはそれと思った。電波ジャックもそれはそれと。何かもうどっちもガンバレと。

 そのような時代の混乱を休日の息抜きに利用する今が平和で住み心地満点とは言えまい。が、毎日が文化祭のようなシモキタの混乱に中年になった私はいまだ引き寄せられてしまう。このまま引き寄せられ続け一生中高生気分でいると人間というものはどうなってしまうのか。多分ああなるのだと納得させられる名画座グランドマスター達とも今じゃ何処でも顔を合わせてしまう。多分ああなる。だから私はもうハッキリとその種の人種の片棒を担ぐことにする。快楽亭ブラック?認めるね。ところで松竹時代の藤岡弘はまだ男の子と呼べそうであった。この頃はそうだったっけなあなどと何故か私は納得していた。