ようやく諸君も気が付いたんである

 夏も終りである。冬生まれの夏好き、秋生まれの夏嫌いなんてことを言いますが。今適当に考えついたんですが。秋生まれの私は夏が苦手なんである。その夏も終わる頃には愛は地球を救う。毎年救うようだが今年で26周年にもなるという。つまり24時間テレビは物心ついた時にはもう毎年やっていたという人間も今やそれほど若いとは呼べないと。24時間テレビの創生期をハッキリ覚えてる人間は結構な年であると。私の記憶の中の24時間テレビとは何であろう。やっぱ欽ちゃんか。

 欽ちゃんのあの当時のハードワーク振りって今思えば過労死寸前だった気がする。「もうボロボロなの」って休養前のラストコメントの重さがオッサンになった今身にしみてわかるんである。エンディングでどこぞの広場に集まって観客の一人一人になにげにマイクを向けてみるというのも今にすれば冒険か。大体その場のムードに押されてとにかくお疲れさまでした欽ちゃんも徳光さんもみたいなコメントしか返らずホッとしたものだ。が、中には「このままいつまでも続けて欲しいと思う」と感動しきって言い放った学生がいた。「これからもこういう企画を毎年続けて欲しいってことね」と徳光さんがフォローしたのにも関わらず学生は続けた。「そうじゃなくてこの場をいつまでもこのまま。」じゃあ欽ちゃんも(俺も)休ませてもらえないんか、死ぬまでやっとれってかと徳光さんはその学生につかみかかりはしなかった。しかし何やらこうしたイベントに付きまとう暗部を見た思いがしたものだ。暴走族がコカコーラのファミリーボトルに小銭をつめて「このお金は決して悪い事して集めたお金じゃありません」とか言うのも嫌だったな。嫌だったけどこの26年間チャリティーに参加してない人間には関係の無い事か。

 フロニミナハイルという電話番号の26237までは数字化できるんだけどハイルはどんなだっけかなどと思いめぐらすのも無意味か。26年。お風呂カーなんて本当にあるのか知らん。走ってるところ見たことないけどと言われたお風呂カーは今ではどこでも見かける。24時間テレビとは直接関係ないのかもしれないがそれだけポピュラーになったと。感動のフィナーレでどんな有名人が泣いても今日だけは今夜だけはいいじゃないですかと。さほど体はってないタレントも泣いてる時があるがそれもまた良しと。良しとする夜なんである。しかし毎年思うのはなぜ日曜の夜9時以降の番組を普通に流さなければいけないのかということ。休むがいいじゃねえかと。今年はふりーばるの方が面白そう。とっくに終わってました。