忘れようにも思い出せないんである

 1982年の4月。フォークランド紛争があり、イスラエルシナイ半島をエジプトに返還したあの頃。国内では500円硬貨が発行されました。私はその事実にあれそんな昔だったっけとキョトンとしてしまったんである。もっと最近のことのように思えて仕方ないのである。五百円札が市場から消えたのが82年の春先でしたかと言われれば納得してしまうのだが。500円玉はもっと後なんじゃないのと真顔で反論できそうな気がする。んなこと有り得ないのだけど。

 昭和の終りはしっかと覚えているが、平成の始まりがどうも。平成と初めて書かれた色紙を記者団に掲げてた人がどうも。新年号を国民に発表しなければいけない。それなりのポストを持った官僚からという段になって恐らくはお前行け合戦になったのだろうあの頃。年号を公の場で発表する役なんて精気を吸い取られそうで誰しも嫌がりそうである。でも誰かがやらなければどうにもならない役を引き受けてしまうお方だったのであろう。まあオカルティズム的なこと一切信じないっちゅか理解できなさ気なお方でもあったが。

 終りははっきり覚えていてもそれに代わる始まりはどうもおぼろげなのだ私の場合は。五百円玉がもう22才とは。22才の若者に500円札は古銭感覚という訳か。五百円札はいいぞ。シブイじゃない。ゴマダラカミキリと同じくらい好きだったね少年時代。と、こんな話もまるでヒッピーの戯言に聞こえるというのだろうか今時の若者には。OK、いいよ。

 82年に何となく主題を置いてしまったのでついでに映画も。この年は「E.T」と「ブッシュマン」が公開されています。あれぇと思う三十代はいらっしゃるだろうか。私は「ブッシュマン」に関しては大体あの辺だった。80年代の前半と覚えている。同級生にブッシュと呼ばれる時任三郎似のヒョーキン男がいたのだ。ブッシュは覚えているけど「E.T」って500円玉登場とダブってこないのだが。もっとダブってこないのがこの年の12月にテレホンカードの使用が開始されているのだ。テレカはどうでしょう。今でも何かっつと作るものなのでしょうか記念テレカ。結婚祝のテレカなぞうっかり持ってるとテレカ世代だものと陰で笑われてしまうのだろうか。70年代の絵皿と同じように。七五三の写真や結婚式の写真が絵皿になって玄関先に飾ってある。ケッ高度経済成長期にヒト山当てた田舎ヤクザめとハマコーを見る目でうらやましがる私の手元にもテレカはある。が、自分が写ってたり、自分の子どもが写ってたりするのは持っていない。ついでと言っちゃ何だが私の母は五月みどりと同い年。