いっそ今井に捧ぐべきである

 主婦と生活社刊『キャロル夜明け前』(著者ジョニー大倉)は懐かしい本である。75年にKKベストセラーズから出版されたキャロルのタレント本『暴力青春』のジョニーの項で読んだあのおセンチな文体が今もそのままだったから。

 甘えん坊のジョニーと自称し、いくつになっても甘えん坊な51才のポエジーなつぶやき集めであるこの本書の異様さに圧倒。人間年を取るとついこの間の事より何十年も昔の事のほうが鮮明にイメージされてくるという。事実本書の中の創生期のキャロルの様子は『成りあがり』よりもナマな感じがするのだ。ジョニーのまなざしが詩作する者のそれである為かスナック美香(とはジョニーの実母の経営する店で当時のメンバーのたまり場)でキムチと焼き魚でメシをかっ込む運送屋のバイト帰りの永ちゃんの様子など、そんなドキュメントフィルムを一度観たような気さえする描写力。しかし当時の永ちゃんのカツカツな生活ぶりなど『成りあがり』の中で自ら告白するぶんには良いが自分以外の人間に語られてしまうのはどうだろう。暴露本的要素も本書は充分持っている。

 ミッキー・カーチスと六本木で初めて面談した時にジョニーは同行しているし「矢沢君ね」ではなく「君達は」である本書に対し『成りあがり』ではもうこの時点でミッキーはリーダーの永ちゃんとしか仕事をしているムードじゃない点。それも本書によれば決定的な出来事があったのだとジョニーは告発している。ミッキーはじめ日本フォノグラムのスタッフの前で初めて「ルイジアンナ」のレコーディングは開始した時の事。間奏のアレンジをちょっと思いつきで弾いてみせたジョニーにミッキーさんも「それ、いいね」とノッてきた。その時永ちゃんは激怒したらしい。自分の曲に手を加えるんじゃないと激しくまくしたてそのままレコーディングは中断してしまった。そういう事があって周りの大人は永ちゃんをリーダーとして認知したし、激怒の一件もそうさせる為のお芝居ではとジョニーは考えているようだ。多分その通りなのだろう。「俺で始まり俺で終わった」バンドの序章とぼくらの出会いは必ずしもイコールじゃないということか。

 もう一つ告発的なのがボーカルについて。英語と日本語のちゃんぽんであるジョニーの詞がどうも歌いづらいと言う永ちゃん。ジョニーは全部英詞と思って歌えばいいと日本語歌詞にもローマ字のアンチョコを付けて永ちゃんに渡していたらしい。「思い出す彼女の姿」なら「OMOI DANCE KANO JIYOU NO……」などと。こうしてあの巻き舌の矢沢節が完成した訳だとまでジョニーは誇る。が、受けとり様によっては結局自分がボーカルの師匠でもあるんだよねとも言い切っているようにも思える。しかしこのような食い違いや言った言わない居た居ないの問題はビートルズ本の例に倣って違いを楽しむべきである。そして今では利害関係ゼロのサブキャラもまた楽しませる。

 「成りあがり」では山田ジョー(漢字忘れた)がオモロかったが本書ではチンパと呼ばれるチンパンジーに激似の永ちゃんのパシリが登場する。チンパはキャロルの初ステージをセッティングした男らしい。そして今井。今井という名の雇われドラマーの事を私は梶原誠の本名今井ってんだと思いながら本書を読み進んでいた。が、梶原誠ヘルプ期はちゃんと別項に出てくる。今井は今井なのだ。デビュー直前まで今井はキャロルのメンバーだった。プロになるのははじめから嫌だった今井は契約が済むまで自分は降りるとはメンバーの手前(永ちゃんの手前)言えなかった。そして契約が結ばれてから脱退を申し出るのだがすぐにグラビア撮影の仕事があった。今井はその現場にはのこのこ着いて行く。雑誌が出る頃にはバンドにいない男を一緒に撮っても仕方ない。仕方ないから今井だけ後ろ向きのポーズで革ジャンの背中にジョニーが白ペンキで「今井」とは書かず「CAROL」」と書いた。その写真の今井は長髪のハードロック青年風である。後任のユウ岡崎もハードロック畑から選ばれたらしい。技術的には一番ミュージシャンしていたユウに他のメンバーは初めビビっていた事も本書で知らされた。

 どちらかといえばゲンナリくるエピソード中心に人気バンドの暗部をえぐる本書である。ゆえにもう関係ないっちゃ関係ないサブキャラ達のがんばりやわがままが伝説の完成を進めているのか遅らせているのかもわからないイタズラ模様がオモロい。当時のバンドのビジュアルや音源を所持している人物はこれでジョニーに値札をつけてもらうことも考えに入れるはず。主婦と生活社とは。甘えん坊ジョニー新世紀も甘え続けてくれそう。ビバ。