ハーフジャパニーズ志願なんである

 どうして旅に出なかったんだ。田中小実昌池田満寿夫の古いエッセイばかりを夢中というかムキになって読みあさっている昨今の私。私も半分アメリカ人になりたかったのだきっと。チャンスだってあった。

 母親の姉はアメリカに永住している。結婚してからもう何年もシアトルに暮らしており私とは数えるほどしか対面していない。最後に逢った時は身内の誰かの結婚式だったと思うがスピーチを頼まれ断っていた。その断り方が日本語と英語をチャンポンで面白かった。愛されてるいつもサティスファイドみたいなことを必死で弁解していた姿を見て伯母ちゃんは半分外人なのだもうとしみじみ思った。結局その席では伯母ちゃんの隣に身内の一人が寄りそって歌を忘れたカナリアでございまして相済みませんなどと代わりのスピーチを始めた。伯母ちゃんは2,3日でまた帰国してしまったが惜しいことをした。当時十代はじめの私はその時無理にでも伯母ちゃんに着いてって伯母ちゃん家の子になっちゃえば良かったのだ。そしたら今頃ケイン・コスギ位になっている。んな訳はないとしても日常会話程度の英語力なら嫌でも身についていたはずである。それでどうにかなっていたかも知れない。キャバレーのマネージャーだってスタンドの店員だって英語がそこそこ話せるだけで土地柄重宝されるところはいくらでもある。つくづく惜しいことをした。80年代の日本の若者の青春なんて体現したからどうちゅことも、ねえ。半分外人になって帰ってくりゃ良かったじゃないの。ゆうびヶ丘の総理大臣になれたじゃないのバカバカ。

 しかし半分外人になって帰国した私はシアトルにホームシックするのだろうか。東京を面白いと思うだろうか。外人が面白がるような面白がり方で。秋葉原にエキサイトするのだろうか。一番Tシャツを着て浅草辺りをサイクリングするのだろうか。場合によっては駅ビルの前でピョコピョコと舞う紙人形を実演販売しているのかも知れない。そして日本語が下手だろう。カタコトの日本語で交番に道を尋ねてる外国人は白人だったり黒人だったりすれば向うもなるほどと思うだろう。明らかに日本人の容姿をしてカタコトの日本語で道を尋ねるその男を向うはどう思うのか。ラリ公がラリラリで他人をからかいに来たとまず疑うのでは。どこかの劇研の後輩いじめかと疑うのでは。今急に思い出したが仕事が来なくなり隠居生活になったEH・エリックの家庭内暴力にはライフルガンが持ち出されることもしばしばだったとか。作り話だとしてもEHの芸暦全てと比較してもパンクローック。