縁起悪くて申し訳も無いんである

 年が明けてフラリと寄ってみたら去年いっぱいで閉店していた飲食店なぞ結構ありますな。私の場合、心の止まり木のように慣れ親しみはじめた矢先にその店が閉店するという妙なジンクスがある。店だけでなく小劇場だとか髪床だとかヘルスケア全般の利用施設がその。私などがココは良いな通い込もうかと思うようなたそがれた店はもう先が見えているということからなのだろうか。それとも私自身に持って生まれたどうしようもない修羅というかケチが付いているというか。営業する側にとって絶対味方につけたくない、できれば黙って通り過ぎて欲しい客なのか。仮にそうだとしてもう足かけ二年強も寄稿している何とかという古本屋は大丈夫なのか。心配なのでそろそろ降板したいところだが、もう重要な内臓器に刃物が食い込んだ状態にあるとしたら。抜いたら余計危ないよ、抜いたらお終いだよってところまで俺来てると思うの。うっかり雇ったカワセミカワセミなら訪問する客も客。言っとくけど俺からの「恐怖新聞」だからねこのコーナー。後で体の具合が悪いとかこの間も山口県で西村さんという方が亡くなりましたとか言わないように。

 考えてみたら高校時代夢中になったアイドル歌手たちにも迷惑かけてたのかも知れぬ。私のような縁起の悪いファンがついたせいで活動に水をさしたのかも知れぬ。佐藤由梨。速見陽子。ドリーン・ボイド。個性的と評されながらもお茶の間には溶け込めないままに。そういう所が私は好きだった。ただそれだけだったと思いたい。私自身には何のエンガチョ性も無いと思いたい。しかし類は友を呼ぶとも言う。あまたあるこうした日曜コラムニストの上げた文HPの中からわざわざ私をチョイスする貴方も結構なエンガチョと読んだ。分かる。負のパワー飛ばしあいますかな。がなりますかな。

 ところで閉館する映画館と「ジャズ大名」との関連について詳しい方はおられるのでしょうか。もうつぶれるんじゃないかと予感させる映画館には必ず「ジャズ大名」が突拍子もなく上演されては直後に閉館するという場面に私は過去何度も対座してきた。経営が行き詰まって逆立ちしても鼻血も出ない貧乏映画館にも業界の武士の情けとしてただ同然で手渡されるフィルム。それが「ジャズ大名」なのか。それとも「ジャズ大名」をかける事が最後に客を呼び戻すためのサインになっているのか。今年何件の小屋で「ジャズ大名」が上演されるかは私にもわからない。私から言えるのは私自身「ジャズ大名」のような書き手になりたいですよと。起用したらお終いと。つぶれるんだなココもと。