テレ埼から目が離せないんである

 ザ・ゴールデン・カップスの伝記映画「ON MORE TIME」が近く公開される。こうした伝説の大物ロックバンドのドキュメントフィルムは洋楽の世界ではいくつも制作されている。日本で作るなら元祖和製R&Bのカップスでしょうといったところだろうか。予告を観ても内容の充実振りはよくよく伝わってくる。恐らくヒットするのだろう。するとやはり二匹目、三匹目のドジョウがかつてのGSブームと同様に出現するに違いないと思う。それはそれで楽しみなのだが。いっそのこと80年代の和製ニューウェイブや自主制作パンクなんぞも映画化しちゃいそうな動きも予測できる。その際に頼りにされるのはきっとメジャーなレコード会社、出版社よりもUHFのローカル局ではないか。テレビ神奈川テレビ埼玉の若者向け音楽番組にはそうしたバンドの映像がゴロゴロ眠っているはずである。
私が覚えているものではまだブレイク前のレベッカテレビ埼玉におけるスタジオライブか。一応ライブなのだけれど形式的にはワイドショーと同じ。カンカンと地明りの照明がついただけのだだっ広いスタジオ。そこにパイプ椅子を50個並べただけのライブ会場。そして集まった観客は別にバンドのファンということもなくたまたま何かやってそうだから入っちゃったヒマな学生や失業者が大半であった。これが全くといってもいいほど演奏にピクリとも反応しない。ノッコはそうした仏頂面の観客の頭をなでるなどして「ねえどうした?どうしたのォ?」などとアオるが焼け石に水。何でも浦和の家電屋の娘らしいというのが番組内での彼女のPRのされ方で他にこれといった話題性は当時なかった。私はこの頃の女だからってなめるんじゃないよ的なバンドギャル魂あふるるノッコの方が好きである。不潔ったらしくて怖い感じ。あの頃のノッコはワンモアタイムできないと思うが多分。
もう一つはザ・スターリン。が、やはりテレビ埼玉の音楽番組でスタジオライブを行なっていたのも印象に残る。司会、鳥塚しげき。鳥塚はなぜかその頃テレビ埼玉のロック畑を独占しオーガナイズしていた。遠藤ミチロウに恐る恐るインタビューしていた鳥塚は明らかにビビっていた。が、それは女性週刊誌が書きたてた何しでかすかわからん変態バンドとしてのイメージを鳥塚が過信していたのだきっと。今思えばほとんど同世代のはずである。何でまたこのスタイルで音楽するようにという鳥塚のうわずった質問に「面白くないだけですね」とあっさり返したミチロウ。あの後一緒に打ち上げなんかもあったのだろうか。カラオケで「想い出の渚」なんかデュオしたり。案外鳥塚のビビリこそが唯一の舞台演出か。素のミチロウをなぜか飯田橋駅で二回目撃したことがある。勿論ミチロウ氏は私の事など知らない。が、この男は自分のことをよく知っているのではと氏の視線はそわそわ泳いでいた。出会い頭乱暴するファンなどうんざり会ってきたからであろう。で、ミチロウ全然怖くない。その逆。いじめられ中年然としていたミチロウのほうから事前にお願いされてたのかも知れぬ。ビビリよろしくでと。わかったガンバと。がけっぷち中年ロッカー同志の友情と根回しが。鳥塚しげき。日本のロックというジャンルがレコード屋の棚二分の一段くらいまでやっと幅をきかせていた時代の顔役が。ロック歌手って皆鳥塚しげきみたいな顔してたような。ロック歌手がもう居ないか。藤重政孝くらいまでか。