あなたには希望の匂いがするんである

 今年もなんとなく暮れてきたようなので年内に観たもの読んだもの何やかんやのベストワンでも挙げてみようかと思う。けれどああいうものはそれぞれのジャンルで目や耳の肥えた書き手がランク付けするから意味があるのであって私なぞがベタ誉めしたところでその作品が輝きを増すようなことは全く無い。それは当たり前として昨今のおすぎvsビートたけしのバトルには考えさせられた。映画会社から宣伝費を分け与えられて「私はこの映画を観るために生まれてきました」などと公言する人間が映画評論家と呼べるかというたけし側の物言いにである。言ってることはごもっともだと思う。思うのだけれど例えば洋画の予告編に並ぶ有名な新聞、雑誌からの賞賛のコメントなどとおすぎのコメントはどう違うのだろうかとも思う。誉めて当たり前だわな宣伝に引っ張り出されてんだからと観客の大半は余りマジメに受けてはいないだろう。が、その時点でそうしたコメントが結構な学の謝礼と引換えに寄せ集められているかどうかまでは私の場合考えていない。考えてもみなかったが考えたら何やら賞味期限切れのナマコを食べた後のごとく不快な気もする。それでも自分はおすぎより映画に関しては目が肥ええるつもりだから何のことはないし、そうした不透明な金の流れも否定はしないという人もいるだろう。そういう人が何千万人と映画館に押し寄せた結果のロングラン大ヒットなどという例もあるか。無い。それは無いんです僕らの住んでるこの国で。ただ救いになるのはっちゅか救いにもならないのは映画というもの自体そもそもイエネズミの集団を街頭に誘い出し河川になだれ落とすラッパ吹きのごとき洗脳システムとして機能していた史実があるということ。戦意高揚ムードから見終わった後やさしい気持ちになれるモードに移り変わってもシステム自体は胡散臭くて醜悪なものだと思う。その辺は水清ければ何とやらと割り切った上での今年のベストワンは「リアリズムの宿」かと。
 この映画の宣伝のされ方には全く気をとられなかった。確か澁谷で他に観たい映画が何本かあったがいずれも立ち見ですっかりイジケてしまい、もうどんなつまらない映画でも許す。これはかなりつまらない映画だと期待できると思って観た。面白かった。一応は観光地であるパッとしない田舎町をさまよう不安定な若い男女の恋愛劇といえば神代辰巳田中登のロマンポルノを思わせる。本作はロマンポルノしていると思う。今時のピンク映画より全盛期のロマンポルノの空気を感じさせる本作の山下敦弘監督がまだ27歳というおののき。遅れてきた怪童の次作は「くりいむレモン」であった。こちらはビデオムービーだったので比べにくいのだが「リアリズムの宿」の方がロマンポルノしていたと思う。カラミは皆無でもだらしなく助平なもう青春ってこともないような青春群像は亀有名画座で観たとしても違和感は無いと思える。んなこと全然気にしてないし、気にする必要ないと考えているように思える。「リアリズムの宿」。私はこの映画を観るために生まれてきましたとコメントできる。が、生まれ変わったらもうこうした映画を面白がる人生は嫌である。くるりの歌う主題歌「家出娘」のCD化を強く望む日々はもう嫌である。しかしいったん良さがわかってしまうと二度と抜け出せない点において初期のロマンポルノの巨匠達と同質の中毒性を山下敦弘は充分持っていると感ず。