家中みんなぐにゃぐにゃである

 新文芸座にて「鬼才 増村保造」、「足にさわった女」(60年大映)を観る。京マチ子演ずる女スリとそれを囲む男達とのドタバタ喜劇である。ドタバタ喜劇という表現もいつの間にか消滅したが、本作は昭和35年に制作されたドタバタ全盛時のどどどどドタバタ。日曜の午後に「テレビジョッキー」とゴルフ中継の間に放映されそうな読売カラー濃厚なズッコケ道中ものである。しかしあの番組では、シネスコサイズの作品を無理やりテレビ画面に押し込んで放映していたのが今考えると物スゴ。ビデオドラッグのごとくへちま状に伸び切った人物達の繰り広げる異様な劇を視聴者らは相当気色の悪いものだが、これは技術的に辛抱してやってなかったことにしてやって楽しんでいた訳だ。実際作品を作った人々、演じていた人々はポルターガイスト化した自分たちの作品に抗議しようと思わなかったのか。多分思わなかったのだろう。相当気色悪いものだがこれは技術的に辛抱してやって無かったことにしてやってでも楽しめはしなかったのだろう。
 しかし私なぞはあのポルターガイスト化した画面の中ではじめて観た日活スター、大映スターは少なくない。ぐにゃぐにゃ顔の方で認知してから整った顔で再観している場合もたびたびである。クレイジーキャッツの一連の映画などぐにゃぐにゃバージョンでほとんど先に観てしまったので劇場やビデオで観ると逆に違和感があるくらいなのだ。で、今現在さすがにあのぐにゃぐにゃはオンエアしない方向に定まってきた。すると世代によってぐにゃぐにゃに親しんだ者やうっすら覚えている者や何の話か訳わからん者に分化していく。私はぐにゃぐにゃ容認世代である。その私はこんなぐにゃぐにゃ映画を娯楽として受けいれてた、気色悪いの我慢して楽しんでいたの信じらんねとかアリエネーとか言う世代になめられる可能性はある。物の無い時代、食うことが何よりの時代のそのまた次の次の次の時代にナンバリングされたぐにゃぐにゃ映画家族で平然と楽しんでいた時代。後の世代から見ればまだまだ貧困でその事に自らがかまう余裕もなかった。まだまだ赤いリンゴに唇寄せてた昭和歌謡の方々ね、と。そうやってアンタ俺のこと思って見てるに違いないんである。ガッデム(畜生!)。そのようになめられ小馬鹿にされた我々ぐにゃぐにゃ世代が自由と平等を取り戻す機会はあるか。それはぐにゃぐにゃ映画が活弁付きの無声映画のような「世界に類を見ない日本独自の芸術表現」として大陸に歓迎されるその日を待つことのみ。ぐにゃぐにゃ大使として野呂圭介を推そうと思う。