姥捨て山は毎日がサンデーである

10月23日、神保町シアターにて「昭和の庶民史・久松静児の世界」『南の島に雪が降る』(61年東京映画)を観る。映画監督、久松静児の一般的なイメージといえば昭和30年代半ばの喜劇・駅前シリーズか。森繁、フランキー、伴淳の登場するドタバタ人情劇の数々は昭和40年代生れの私の中にも充分染みついている。
それがいつどこで染みついたかといえば恐らく日曜の昼下がりから毎週のんべんだらりと放映され続けた日本テレビのあのダラダラ枠によってだろう。その当時そうした作品群を二十歳前の私が喜んで観ていたはずもないのだが。いつの間にかそうした作品群をスクリーンで料金を払ってまで観るのは何やら今は誰も住んでいない生家を訪ねるような最後のノスタルジーといった感も。
そしてこの日会場に集った70代、80代のオールドファン達にとってはノスタルジーどころの騒ぎではないような。このくらいの世代の男女が自分達と同世代の映画スターが急死したりするとハタと健康づくりに走ったり引きこもったりする姿に私はあまりよい感情が持てないのだが。会場のオールドファン達がフランキーや伴淳が画面に登場しただけでゲラゲラ笑い出す様子は明るく健康な感があった。もしフランキーや伴淳がつい先だって他界していたのならこうは盛り上がらなかったろうなと何気に。今くらいのタイムラグがあってやっと当時のようにゲラゲラ笑って楽しめるのかなとも。そして本作のような映画群がこうしたオールドファン達に迎えられ愛される機会はもうそんなにないのも間違いないのである。何となく中年過ぎてからの身内の法事に顔を出してしまった気分で私は客席にちぢこまっていたが。
本作は俳優、加東大介の戦争手記を映画化したもの。加東大介って誰だと私世代の昭和っ子でも思うかもしれない。森繁やフランキーが登場するそうした喜劇映画には必ず出てくるコロコロたった五月人形のような面立ちのあの男優である。私なぞはそうした喜劇映画を観る際に加東大介が出てこないと何か物足りない。これといった定番ギャグもツッ込みも持たない加藤大介のヒストリー本のようなものがあれば読みたいと思っていた。が、この時代に雑誌に文章を書いたりもしていたのだった。それはまとめて読みたいものだなと追体験組のファンである私は思う。思うが本作の反響も当時はボチボチだったのではと。しかし終映後の客席ではオールドファン達による拍手が起こった。この拍手が私の好きなあの頃の加東大介に届けばとは思わなかった。届かないもののために喝采した後に小雨舞う九段坂へ。